子どもがこの地区からいなくなったら、途端に地域のカタチが変わってしまうだろうと思っています。たとえ少なくなったとしても魅力的な保育園があって、色々な知見や発見があるとか、子どもたちの世界を広げていけるような地域であり続けられるよう、自分の視野も広げています。
〈Vol.23〉2026年3月3日
相山 慈さん
ー Megumi Aiyama
ー 社会福祉法人 花の村 理事長
ー 浄土真宗本願寺派光善寺 住職
取材・文・写真
戸田コウイチロウ〈GO GOTSU.JP編集部〉
僕が江津に戻ってきて最初に入ったのは浅利保育所(現在のあさりこども園)でした。保育の資格も知識もない状態でしたが、やはり設立したばかりで両親も本当に大変だったんです。「子どものことを知る」というところからスタートしました。
江津の中央部を流れる中国地方一の大河である江の川の東側は江東地区と呼ばれる。江津市街地から約5kmの東部の平坦な丘陵地には市民の憩いの場である菰沢公園やキャンプ場があり、シーズンに入れば賑わいを見せる。広大な敷地を有する工業団地は多くの雇用を生み、近年は高速道路の整備も進んできた。交通インフラの大動脈が変われば人の動きもそれに比例する。必然的に地域全体を見直し、リ・デザインする必要性の声も地域から挙がる。
それは同時に少子高齢化が著しい地域として、これからどのように生き抜いていくのかを論ずることと同等だ。 今回は、この江東地区で社会福祉事業所や保育所を経営し、さらにはお寺の住職でもあり、不登校児童のためのフリースクールも運営する相山慈さん(以下、相山さん)にお話を伺う。
相山さんは江東地区で生まれ、小・中学校時代をこの場所で過ごした。社会福祉支援も、心の拠りどころとしてのお寺も、そして地域が元気であり続けるためには子どもの存在も保育園もすべて必要不可欠だ。少子高齢化が進む中でこれからの保育園の役割、そして小学校や中学校の存続についてもぜひお聞きしたい。長きに渡って教育事業者として地域と関わってきたからこそ感じていることや、見えてきたものがきっとあるのではないだろうか。
▲300年以上の歴史を誇る後地町にある光善寺
相山さんは「あさりこども園の園長」という印象がありましたが、現在は様々な活動をされていらっしゃいますよね。改めて自己紹介からお聞かせください。
相山さん:出身は江津です。浄土真宗のお寺(光善寺/江津市後地町)に生まれました。いずれ僧侶の資格をとることになるだろうと考え、高校卒業後は京都の龍谷大学へ行きました。僧侶の資格の先には住職になるための資格というものがあり、京都にある中央仏教学院の入学を経て、資格を取得しました。その後、千葉で仕事をしていたんです。
1999年に社会福祉法人花の村(江津市後地町)を両親が設立しました。デイサービスセンターやヘルパーステーション、保育所の運営といった事業です。始まったものの、これがまたなかなか大変で「手伝ってもらえないか?」と両親に言われたんですね。自分の中で、いつかは江津に戻りお寺を継ぐことになるだろうと思っていたので、これを機に帰ろうと決めました。ちょうど30代直前くらい、2001年頃のことです。現在は光善寺の第18代住職としてもおつとめしています。お寺は記録として残っているのが1700年頃なので300年ほど続いているだろうとされています。
幼少期は江東地区で生まれ育ったんですよね。当時の話も少し伺いたいです。
相山さん:僕は江津東小学校ができた年の1年生なんです。当時は都治(つち)小学校、浅利小学校、波積(はづみ)小学校、黒松小学校がありました。1980年かな、それが合併したんです。小学校は2クラス、70人ほどでそのまま中学校にスライドです。友人関係も9年間変わらないので、そういう意味で違う世界が見たくなり、隣市の浜田高校へ通いました。浜田高校は団塊ジュニア世代ですし、1学年10クラスもあったんです。
高校は理数科でした。理科と数学にどっぷりの毎日から文系に進路を変えたくなり、大学は法学部へ行きました。千葉にいたのは3、4年間くらいですね。カー用品を扱う会社で、
そして千葉での仕事を終え、江津にUターンしたわけですね。
相山さん:花の村は介護施設から始まる構想でした。昔から両親は介護施設を
江東地区という地域に必要なことや、地域の困りごとを解決していくことを両親が考えている。相山さんは江津に戻ってきて改めて、そのことを「なるほど」と思ったという。また、浅利保育所の園長になったときは「素人だった」ともいう。地域で信頼のある園長経験が長かった方にお願いし、指導してもらいながら園長という職について知り、学んでいった。2002年には浅利保育所(以下、あさりこども園)の園長に就任した。両親がやっていたことや、やろうとしたことを手伝おう、継ごうと思う一方、素人である自分を認め、異業種の世界に入り込むその現実を当時どのように捉えていたのだろうか。
▲介護、保育、放課後児童クラブ、サービス付き高齢者向け住宅などの事業を手掛ける社会福祉法人花の村。
相山さん:純粋に仕事のおもしろさを感じたんですよね。毎日子どもを見る中で、そこにいる大人は何をしたらいいのかということはまだ掴めていませんでしたが、とにかくおもしろくて。大変なことも多いわけですが、振り返るとおもしろいというその感情のまま突っ走ってきた感じですね。思い起こしてみると僕以外はみんな(保育の)プロです。当時から今もいてくれる職員も多いですが、子どもたちとどう接すればいいか、関わり方などいろんなことを勉強しているわけです。それでも僕は、一から子どものことについて勉強しようとか、保育の資格を取ろうとかは思いませんでした。それよりも「おもしろい保育園とはなんだろう?」「子どもも大人も喜んで来たくなる保育園とはどんな保育園だろう?」そんな園をつくろうという漠然とした想いはあって、そのための勉強はかなりしてきたと思っています。
いつの頃からか、そういうことを職員と対等に話ができるようになったんですよね。自信をもって、この役割を果たせているなという実感を持てるようになりました。すごく嬉しい経験です。いろいろな保護者さんがいて、いろいろなやりとりがあって、なかなか園のことがわかってもらえない、なんてこともありました。楽しいことよりも、しんどいことのほうが鮮明に覚えています。
子どもたちが卒園したあとに出ていく社会はどんな風になっているのかも掴んでおかなければいけない。
▲園長として20年以上に渡って築き上げたあさりこども園。教育熱心な職員の方がとても多い。
2007年頃に当時の副園長とともにあさりこども園で保育のやり方をがらりと変えたことがあった。様々なことを考えながら職員とも話し合う時間を持つが、なかなか理解してもらえない日々が続いた。毎日のように「なぜ変えるのか?」と問われる。そんな時間が2年ほど続いた。さらには保護者からも反発があった。今となったらその反発も当然のことだと思えるが、当時は受け止めるのも苦労した。そんなことがありながらも乗り越えてきて、今の園がある。「思い出すことといえば、そういうことばかりですね。」と相山さんは言う。一体どういう変化があったのか、お聞きできる範囲で伺いたい。
相山さん:理念は当時から「ひとりを大切にする保育」と掲げてい
例えば4歳の子が描いた絵があるとします。その子にもっといろんな体験をさせてあげるとその絵はもうちょっと変わるだろうね、という話を複数の職員でしていました。ただ、それを実際の保育の中でやるかどうかは担任次第。みんなで子どもの話はするんだけど、保育の実際の現場ではクラスの担任に全部お任せになってしまう。みんなで考えたことを、みんなで実践するということが難しい状態だったんですよね。みんなで考えみんなで実践する形を、なんとしてでもつくりたいと思うようになりました。
みんなに「素人」と思われている僕がどうやったらできるかを色々と考えました。自分でなんでも一からつくるよりは、世の中にたくさんある参考になる事例を持ってきて、それを自分たちなりのやり方にしてやっていくほうがいいと思っていました。ただ、それと同時に気をつけておく必要があることとしては、視野が狭くならないように、ということ。できるだけ広く持とう、と。子どもたちが卒園したら彼らは広い社会に出ていきますよね。出ていく社会はどんな風になっているのかも掴んでおかなければいけない。保育園のモデル探しとあわせて他の企業の動向とか、異業種の人の話とか、日常的に意識していました。そうやって少しずつ園の中を変えていこうとしたことはあります。
今から20年ほど前、子どもは今よりも多く、定期的に新しい職員も入ってきた。園の変革を実施していく中でどれだけ話をしても「自分には馴染まない」と言い、辞める職員もいた。「そういうことは当然ありました。これは仕方ないことです。」と相山さんはいう。とはいえ、結果的に大きな職員の入れ替わりや大きな混乱が生じたわけではなかった。
相山さん:当時、かなり「言い合い」をした職員は今もほとんど残ってくれていますね。これまでがあって今のあさりこども園があるのでしょうし、全く何もなければ全く違う園になっていたとも言えると思います。職員とは本当にいっぱい話をしました。自分にとってもありがたい時期だと思っています。
子どもを見る場所であると同時にそこで働く職員さんたちのマネージメントも求められる経営者としての立場もありますよね。園全体をどのように捉えていたのでしょうか。
相山さん:正直に言うと「経営」ということは後回しにしていまし
▲光善寺の西側から見る後地町。波積に向かってゆるやかな道路と農地が続く。
子どもと地域を繋ぐことが保育園の役割であり、それは子どもが社会と繋がることをサポートするということ
浅利保育所から始まり、現在のあさりこども園に至るまで20年以上に渡って園長を務めてきた相山さんは2025年に園長を退任する。あさりこども園にもこれまでのように関わり続けながらも、花の村の理事長、光善寺の住職、最近では自身の視野を広げるための法人を設立したり、江東地区をフィールドにした保育園留学®️も運営し、フリースクールも手掛けるなど活動は多岐に渡っている。一貫しているのは「地域づくり、保育を中心とした教育活動」だ。これまで過ごしてきた時間や経験を通じて、これから先、子どもを預かる場所としての枠を越えてどのようなかたちで地域の中であり続けることができるのだろうか。
相山さん:僕は、保育園とはどこにあっても地域に根差したものであるべきだと思っているんですね。保育園の中だけですべてが完結するのではなく、保育園を取り巻く地域がすべて保育に必要な資源になるという認識でこれまでやってきました。子どもと地域を繋ぐことが保育園の役割であり、それは子どもが社会と繋がることをサポートするということです。その役割が大いにあると思っています。
地域には高齢の方が増えてきています。園で行う日中の活動の中に地域の方との触れ合いの時間がありますが、喜んで子どもたちとの時間をつくってくださっています。地域の方も子どもたちも喜んでいるので、お互いにとてもいい刺激になっています。これからもできるだけこういう機会を設けていきたいと考えています。どの地域も少子高齢化が進んでいますし、もちろん規模はそれぞれですが、園と地域の関係性や役割は大きくは変わらないと思っています。
自分の視野が狭くならないように ー。意識的に自分自身が学べる時間をつくるために、相山さんが始めた活動がある。多くの保育園関係者のネットワークを活かしながら全国の保育園や教育現場を視察するツアーの実施だ。保育園だけにしがみつくのではなく、全国の様々な先進事例を直に学び、共有し、自分の園に持ち帰って取り組んでみる。数年前からこの活動を始め、2024年に仲間と合同会社を設立した。
相山さん:地域と繋がりを持ってやれることをやっていくという考えですね。もちろん事例をすべて持っているわけではないので、例えば僕が「こういう場所があります、こんな事例があります、おそらくこんなヒントがあると思います」と全国にいる知り合いにお知らせを送るんですね。そこから参加者を集い、現地に赴くという活動を法人化して行っています。
参加者のほとんどは同じような地域環境で保育園を経営している方たちです。そこで課題として挙げられていることのひとつなんですが、自分たちの園を卒園した子どもたちが学校に行きづらさを感じているという実態があります。それは環境の変化に戸惑っていたり、居場所を見つけにくかったり、様々な要因で学校に行かなくなってしまっていて。そういう問題に対して自分の園として、なにか取り組むことはできないかということをずっと考えていました。
長野の佐久穂町にある「大日向小学校」になにかヒントがあるかもしれないということでみんなで見学に行きましたし、学びの多様化学校(※編集注:不登校の状態にある児童生徒の実態に合わせて、カリキュラムを柔軟に編成できる学校。文部科学大臣の指定を受けることで、通常の学校とは異なる特別な運用が認められている。)を知るために仙台の「ろりぽっぷ小学校」にも行きました。新しい取り組みを始める小学校が少しずつ増えていますし、これらの学校はイエナプラン(※編集注:ドイツで生まれオランダで発展した「一人ひとりの個性を尊重し、自律と共生を育む」ための教育モデル)を取り入れた学校ですが、こういう活動もSNSでの僕のつぶやきがきっかけでいろんな教育現場の方たちと繋がっていることで実現できています。福島の磐梯町で教育長をされている中川綾さんという方がいらっしゃいますが、長くお付き合いさせていただいているご縁もあり、最近では磐梯町で町長と教育長から磐梯町の教育に対する想いというのを聞かせてもらう会をやりました。その後、磐梯町の副町長が江津に来られて勉強会が開かれたりと、そんな流れもありますね。今、こういう話をしていると心が軽くなっていきますね。自分自身が楽しんでやっています。
現在、全国の不登校児童生徒数は35万人を超え、大きな社会問題となっている。長野県では、増加する不登校児童生徒等の多様な学びの場の確保、充実を図るため、県内のフリースクール等民間施設を認証し、財政支援等を実施する「信州型フリースクール認証制度」を2024年4月に創設するなどし、全国から注目されている。相山さんの知り合いがこの制度の立ち上げにも関わりを持っていたこともあり、話を聞きに行ったという。江津で抱える課題解決のヒントになりそうな事例や場所が視野を広げると全国にはいくつもあるのだ。相山さんがつくる「学びの場づくり」には義務感で参加している人は一人もいない。同じ問題意識を持つ者同士でつくるコミュニティは「みんな前のめりで、刺激的。めちゃくちゃ楽しい」そうだ。
色々な知見や発見があるとか、子どもたちの世界が広がっていけるような地域であり続けること
▲江東地区唯一の小学校である江津東小学校。4つの小学校から統合されてまもなく50年を迎える。
江東地区の子どもと教育環境についても聞かせてください。そういった活動をされている相山さんは、この地区においてどんなビジョンを描いていますか。
相山さん:子どもがこの地区からいなくなったら途端に地域のカタチが変わってしまうだろうと思っています。少なくなったとしても魅力的な保育園があって、色々な知見や発見があるとか、子どもたちの世界を広げていけるような地域であり続けること。これがまずひとつ。事業としては保育園以外では放課後児童クラブ、高齢者の方々の支援、これはできることは思いつく限り、とにかくやっていこうと。安心して生活ができるための支援です。そんな風に思っています。子どもにこの地域を選んでもらえるように。そこがスタートですね。園を卒園した子どもが小学校、中学校と進んでいくこの地域の流れは無視できません。地域にいる一人として働きかけていきたいと思っています。
不登校児童の受け入れをするフリースクール「こうとうキャンパス」もやっていますよね。
相山さん:窓口をあさりこども園にしてはじめました。昨年(2024年度)は4名いたんです。この地区は自分自身が小・中学校時代を過ごした場所ですが、自分も「外の世界に出て広げていきたい」と思ったのでそう考える子どもはいると思います。その意味では江津中学校への進学とか学区外の選択肢があるのはいいことだとも思います。逆に、江津中学校のあの規模だとちょっとしんどい、小規模校の方がいいという子もいると思うんですよね。現状、江津の子どもたちが学校を選ぶことができるという環境はないので、今後、もしそうなったときに江東地区も選ばれるような場所になればいいと考えています。
どこの学校に行くのかではなく、どんな学び方をしたいかという選択のような。学校での学び、地域での学びが大事にされたり、学習の進度が早い子もいれば遅い子もいるわけですし、それに対応できる学校があるとか、江津全体に様々な特色を持った学校が点在し、子どもが自分に合った学校を選べるようなカタチになるといいなと思っています。選択肢を増やしたい、子どもに選ばせてあげたいという気持ちです。江津東小学校や江東中学校ならそういうことができるんじゃないかと思っているんですよね。先ほど話した磐梯町では子どもたちが学習形態を変える、選択できるということを公立の学校でもできるようにしようと取り組んでいます。近隣の学校を統廃合するのをやめて、違う学び方ができる学校として残すというやり方です。来年度(2026年度)スタート予定だそうです。何度も磐梯町に行って現場を見させてもらっていると、規模は関係なく「できるんだな」って思います。そんなに無茶なことを言っているつもりは今はないですね。
江津の中でも統合が進む小学校があるが、人数や効率だけで決めてしまうのはもったいないのではないか、もっと検討できることがあるのではないか、と相山さんは問い続ける。そのときに地域の人たちの理解が進まなければならないのであれば、それは教育委員会や行政だけに責任を押し付けるのではなく、自分たちにもできることはきっとあるはずだと強調する。相山さんがフリースクールを運営しているのは「(現代は)いろんな子どもたちがいる」「学校が変わればまた行けるようになるかもしれない」といったことを地域の人たちにも知って考えてもらいたいという意図があり、自身は発信する意義を感じている。
最近は跡市で始まった保育園留学®️が話題になることも多くなってきました。2025年の夏からはあさりこども園でも保育園留学®️の受け入れが始まりましたね。人を多く呼ぶことよりもしっかりした関係性を重んじるやり方をとっているところがあさりこども園らしい、相山さんらしいと感じます。
相山さん:保育園留学®️はこの地区の子どもたちにとって、おもしろい事業になるだろうなと思っています。できるだけ多様な子どもたちと関わってほしいと思っています。なぜなら地域の子どもたちの集団規模は小さくなっていくので、なかなか叶わなくなっているからです。保育園留学®️によって短期間ではありますが、いろんな子や親が江津に来ます。見慣れない大人や、あさりこども園に来て戸惑う子どもがいます。地元の園児がそこにどう働きかけるのかとか、刺激がいっぱいあります。上手にやっていければ子どもにとって大きなプラスになると思っています。この地区で受け入れることに関しても、今はあさりこども園と、風
関心があれば子どもだけでなく大人にもいろんなカタチで関わってほしいんです。保育園と宿だけで、数をこなすだけではもったいないと思っています。実際の運営は任せていますが、僕は申し込み状況や事業全体の解析、提案やアドバイス、人と人を繋げるなどの役割を担っています。保育園留学®️に来た親御さんがどこの海に行っていいか迷っていた時に多田さんが黒松の海まで案内してあげたそうなんです。とても喜ばれたそうです。そうやって江東地区を案内してあげたりするだけで保育園留学®️の印象ってすごく変わりますよね。いちご狩りもできますし、人と人をつなげる方がもっといればどんどん面白くなると思います。
制限がある中でいかに楽しいものにしていくか、いいものにしていくかを考えることが自分にとっての創造力
▲宗祖報恩講の際の相山さん。光善寺では毎月なにかしらの行事が行われている。
保育・教育事業、社会福祉事業、住職など本当に忙しい日々ですよね。どうやってワークバランスをとっているのでしょうか?それ自体が創造力フル回転のような印象を受けますが、江津のスローガン『山陰の「創造力特区」へ』に掛けて、今のご自身の頭の中をどのように整理されていますか。
相山さん:もう、カオスですね。お寺、花の村、保育と今、何に時間を使うべきかを月に2回、考える時間を意識的に作っています。でないとなんにも物事が進んでいきません。例えば、お寺は急に予定が入ることも多く、予定が立てづらいこともあります。僕の置かれている立場というのは色々な制限があるんです。なんでもできるというわけではありません。制限がある中で、いかに楽しいものにしていくのか、いいものにしていくのかを考える。これが僕にとっての創造力です。なにをやっているのかわからなくなることもあります。例えば、合同会社を作って視察している、そんな暇はないとも言えるんですが、これは自分の気持ちのバランスを取る上でもとても大事なことです。その活動が回り回って今の事業のどこかに繋がっているのも意味があることです。それも創造力だと思っています。
「素人の自分がこの地域にしがみついてよく20年もやったなあ」「少し自信がつきました」と終始、謙虚であり続ける相山さん。特に、磐梯町の教育長として先進的な取り組み、旗を振り続けている中川綾さんとの親交は長く、磐梯町で実践されている教育分野の現状についてはとても興味深い話をしていただいた。県外で見聞を広げ、それらを江津に持ち帰り、現場で共有しながら活かしていく。この活動は江津にとってきっと大きな資源となるはずだ。「お寺のことは、まだそこまで染み付いていない」と自らを戒め、子どもと保育の可能性に未来を描き、この地域のために自らやるべきことが山のようにあること自体を楽しむ。相山さんは「山陰の創造力特区」のど真ん中で生きている。
GO GOTSU! INTERVIEWS #23
MEGUMI AIYAMA





