HIDENORI TERAI

木工職人
まる木工所 寺井秀雅

職業は木工職人。基本ひとりでやっています。
サーフィンが好きだから自然環境のことを考える。
木を扱うわけだけど「もったいないをなくそう。」
という考えに行き着いたのも必然だった。
家族や子育て環境も含めてこの町に移住した。

GO GOTSU special interview #14
 

 

江津市西部沿岸部にある町、都野津。近年このエリアでは手作りでパンを焼いたり、自然食品店をゆるやかに開業したりと「自分らしい、いいサイズ感」で小商いをはじめるおもしろい人が集まっている。

今回ご紹介するのは木工職人の寺井秀雅(てらい・ひでのり)さん。都野津にある、かつては醤油をつくっていたという築130年ほどの古民家がある敷地にある蔵。そこを自ら改築し、「まる木工所」という屋号のもと開業したのは2017年だ。

寺井さんがこの場所で開業をしたのは自分の事業のためだけではなく、子育て環境としての町、という視点があるという。また木工職人としてのモチベーションに「もったいないをなくしたい」という思いが根底にあるそうだ。ひとりでやる木工職人という職業と、日々どんなことを考えて過ごしているのかに興味がわく。

 

自分は手を動かす方が好きだと気がついたんです。そもそも営業職が好きじゃないし。


 

▲江津の中心地として栄えた歴史のある都野津には立派な屋敷が数多くある。空き家も多くなってきているが、自分の仕事場(拠点)を探すにはいいエリアと言えそうだ。

 

「寺井さんは出身は江津ではなかったですよね。江津に移り住んだ経緯をここ10年間ぐらいのタイムラインでお話をお聞きしたいです。」

寺井秀雅さん(以下、寺井さん):1976年生まれで出身は浜田市です。高校まで浜田で過ごしていました。卒業後はインテリアの勉強したくて大阪のモード学園に進学しました。インテリアデザイン専攻。インテリアデザインという業界に興味があったんですよね。それなのにデザイナー向きじゃないってずっと思っていて(笑。自分は手を動かす方が好きだと気がついたんです。そもそも営業職が好きじゃないし。スーツも着たくないって感覚がありました。

 

「10代の頃からそういう感覚があったんでしょうか。自分のタイプが客観的にわかるというような。」

寺井さん「俺は職人になりたい」と思っていたんです。もちろん学生の頃には色々な遊びも経験しますよね。その中にサーフィンがあって。サーフィンが特に楽しくなっちゃって。神奈川の湘南に住んでいたこともありました。5年ぐらいは遊んでたかな、(サーフィン用の)ウェットスーツを作ったり。作るっていうことは当時から好きだったから、そういう仕事をしていました。そういうことを続けていくなかで「そういえば、おれ、家具好きだったな」と。

 

「家具が好きって意識し始めたのはおいくつくらいの頃だったんですか?」

寺井さん:20代前半は(神奈川)平塚の職業訓練校に行っていて。木工科ってところです。たった一年ですけど。そこでこうやって、機械を使うことを覚えました。22、23才ぐらいかな、人助けを家具でできたらいいなって。デスクワークが向いていないし、ずっとやっていると飽きちゃうんですよね。それより身体を動かしたい。家具は毎回違うものをつくるから飽きが来ないんです。とにかく「つくる」という仕事を一からやっている感じですね。こうやって木を削って。そこからこの業界にずっといます。茅ヶ崎で5年ぐらい作り付け家具の仕事をしていました。キッチンを作ったり、いわゆる箱ものと言われる分野ですね。ただ、給料が安くて(笑。24歳で結婚したんですけど、給料が安いと生活ができないよねって話になって。

 

それまでは給料を気にせず、腕を磨く期間も必要だろうし、自分のことだけ考えてひとりでやれていれさえすれば、よかっただろう。しかし年齢を重ね、結婚し、家族ができれば様々なことを考えるようになるのが社会人というものだ。結婚という節目を機に心境の変化などはあったのだろうか。

 

寺井さん:結婚して子供ができました。神奈川には10年間いましたが、自然と環境を変えてみようかなという風になっていきました。嫁さんの実家が京都でして。そこで京都に移ろうかということを考えました。京都は文化のまちだし、京都なら古い家具を学ぶこともできるだろうと。そうやって古いものを勉強させてもらっていけたらと。いざ行ってみると先輩は70代ぐらいばかりで、間(の世代)がいないんですよ。丁稚みたいなもんですね。かなり色々と勉強させてもらいました。 その当時にはもう神奈川で子供を育てるって感覚はなかったなあ。京都っていっても北の方で、まわりは山です。田舎が好きなのかなあ。京都で8年修行しました。その後、もう一人子供ができて。今度は嫁さんが島根で暮らしたいって言ったんです。とにかく田舎暮らしがしたいみたいなんです。もちろん反対はしないですよ。

 

京都も田舎なのに、なぜさらに島根に移りたいと思ったんですか?

寺井さん島根は海が近い。京都はサーフィンできないし、そのへんもあいまってじゃあ、島根に行こうかって話で(笑。

子供きっかけで島根に来たというのはあります。嫁さんがそこまで言うなら、じゃあまあ島根でいいよと。より不便なところへって感じ(笑。で本当は島根で就職するつもりで、三隅(浜田市)にある吉原木工所さんとか、(株)Sukimonoさんとかを訪ねて雇ってくれませんか?って話をしました。そうならなかったのはタイミングがよろしくなかったのかもしれません。とりあえず島根に来るって決めて、3ヶ月ぐらいかな。Sukimonoさんでバイトさせてもらいました。住まいは浜田の実家でね。

 

移住を決めるタイミングは自身が置かれている環境によって準備も変わってくるものだろう。お子さんが2人いればなおさら、就職先が決まっているかそうでないかで気持ち的にも大きく変わりそうなものだ。

 

寺井さん:仕事先を見つけるために色々動いていました。タイミングもあるだろうし、なかなかすんなり行かなかったんですが、人と人をつなげてくれる方に声をかけてもらって。(NPO法人)てごねっと石見の理事長(当時)の横田さんです。「おまえ、独立するためにビジコン(通称Go-Con:江津市が開催するビジネスプランコンテスト)出んか?独立のために資金も出るし。」って。ビジコンは知ってましたし、ゆくゆくは、と思っていましたがすぐにとは思っていなかったんですけど。じゃ、そうなるなら工房持てる家を探そうかなって今いるこのでかい家を探しまして。浜田はその当時そこまで空き屋バンクが潤っていなかったんです。ビジコンに出るには、江津在住じゃないとって思って。「じゃ、ここにします。」って言って独立する方向へ流れがどんどん進んでいったのかな。

ビジコンも「出てみんか?」ぐらいだったから、プランも何にも全くなくて(苦笑。江津の何かを活用しないとビジコンにも出られない、そうか…って横田さんに色々相談にのってもらいました。2018年に出場しましたけど、ほぼほぼ、横田さんのプランです(笑。

 

 

例えば木を使うってことは、どうしても森林を伐採をするわけですよね。いつも「もったいない環境」のことを考えてるんです。


 

▲まる木工所に隣接したてづくり商店。ここにある什器や家具、建具もすべて寺井さんの手によるもの。

 

「その頃から寺井家の「江津暮らし」が始まったんですね。寺井さんは自然が好きだし、個人的には田舎だったらどんな場所でもやっていけそうな感じに見受けられるんですが、実際いかがでしょう?」

寺井さん:まあでも海が好きだったから暮らす上での問題みたいなものは特にないかな。環境には敏感で。例えば木を使うってことは、どうしても森林を伐採をするわけですよね。環境破壊を進めながらっていうことがどうしてもある。そういう一因を持つことに昔から心が引っ掛かっていて。いつも「もったいない環境」のことを考えてるんです。

大きく言うと、サーフィン。サーフィンって海があってこそですよね。環境を大事にしたいから、木の無駄を無くしたい。解体したところから持って来たりして、廃材をできるだけ少なくしたい。そんなことを考えるところから自分の事業に一本筋ができたかなと思っています。建材と家具の材料は違うんですけど、島根県は広葉樹が多い。そこらへんをうまく循環できたら環境にいいんじゃないかなっていうことは色々とできそうな気がします。

 

環境のことを考えるっていうのは誰かに言われたというわけでなく、自分の中から自然に湧いてくるものなのだろうか。サーフィンをこよなく愛する人にある共通点のひとつに「自然を大事にする」というスピリット(精神性)がある。自分たちが楽しめるのはこの自然があってこそだという畏敬の念だ。ビーチクリーン活動や地元の海岸を守ることを積極的に行うカルチャーが存在する。

 

寺井さん:子供の存在が大きいかな。海っていうと湘南の海はめちゃくちゃ汚い。で、浜田帰ってくると海はきれい。子供には、やっぱりきれいな海を見せたいし、入れたい。この先は良い環境づくりをしないと。子供に影響するから。木工に関して言えばちょっとの力かもしれないけど自然にやさしい循環システムがあればってずっと考えてるんです。

「普通、移住っていうと仕事を先に決めてから来るってのがほとんどですよね。寺井さんは、そこはあまり考えていなかったように感じます。いい波きたら乗れるし、波が来るまでジタバタせずに待とうよ、というサーファー的感覚ですか?」

寺井さん:笑。長男は京都生まれ、京都育ちですが、こっちに来て少し荒れたの。今だに京都に帰りたいって言うんだけど(笑。こっちで育てるはいいけど、仕事もない、家も無い、友だちもいないってなると…そりゃ、お父さんがんばらなあかんってなるよね。ただ嫁さんはやきもきしてたと思います。嫁さんは群言堂さんに就職決まっていたからよかったけどさすがに僕のことは心配だったのかも。

「奥様が群言堂さんに入られたきっかけは何だったんですか?」

寺井さん:神奈川にいる時、雑貨が好きで(港区・青山の)スパイラルマーケットに働いていたんです。1時間半かけて鵠沼から通勤して。あそこは動きたくないって。鵠沼は独特な時間の流れがあって。それが好きだったみたいで。で、雑貨とかアパレルとかデザインのこととか、クリエイティブとかが好き。

一時は紙袋とか、ポチ袋とかデザインしてました。京都でも福祉関係ではあるけどそこの商品デザインとか広報の仕事なんかをしてたかな。「島根だったら、私は群言堂行くわ。ああいうことしたいから。あそこで働く。」って言ってました。島根に来る1ヶ月前には就職決めてましたね。東京で面接したんじゃないかな。ダイキチさんとトミさん(お二方は群言堂の経営者)と。俺は群言堂のことは知らなかったけど。あの人はしっかり見て決めて考えているところがあるよね。嫁さんとは同い歳で付き合いとしては学生の頃からだから、20年超えてるね。

 

▲「まる木工所」のこの手作り看板1枚でなぜか雰囲気や人柄が伝わってくるようだ。

 

奥様は江津に来てすぐに群言堂で働き始めたんですね。寺井さんは3ヶ月ぐらい仕事を探しつつ、同時にビジコンの準備もしつつ。出場してみていかがでしたか?

寺井さん:自分の工場自体はできていて。もう独立するってなっていました。工事も入っていたし。ビジコンに出なかったら、その助成金出ないですから。結構プレッシャーあったよね。正直なことを言うと、出るぎりぎりまで、やめたいと思っていました(笑。ずっと愚痴。プランなんて特にないし。でも、出たら出たで、いろんな人とのつながりが出来ました。ブラッシュアップ(出場者のための事業プランの勉強会が開催される)ぐらいからかな、「出ないと損だな」って思えてきて。当日ブラッシュアップ発表会のとき、7分の持ち時間が確実に余るんですよ。しゃべること、そんなないし、「俺がやりたいこと、これとこれとこれだから。」てなって3分で終わる。それをのばせ、のばせで。ビジコン当日も時間余ったと思いますけど(笑。職人さんは、しゃべること苦手だと思うな。営業なんかまずしないしね。

 

▲「まる木工所」のこの手作り看板1枚でなぜか雰囲気や人柄が伝わってくるようだ。

 

自分で工場を開業してやっていくためには周知は大切だ。認知してもらうということが当たり前に大切になってくる。そういうときに「江津はいいまち」ということは起業しているほとんどの人が口にするフレーズだが寺井さんはいかがだったのだろう。そして鵠沼、京都、浜田といろんな土地を見てきて。今、江津はどんな風に感じているのだろう。

 

寺井さん:そう、そう!(ビジコンに)出てなかったら成り立っていないよ。出た年はすごい応援してくれるから、助かった。どこにいってもビジコン出てたよねって言われて話のネタになる。関わっていたんですよって声かけてもらえたり。間違いなく大きな宣伝材料になりました。未だに、宣伝させて下さい、取材させて下さいっていう話があります。江津はウェルカム、でも冷静。そこまで(相手を)持ち上げないかな。ある程度線があってそこを乗り越えるのは難しい。しがらみとまでは言わないけど。今はこの人と仕事しているから、ちょっと入らないでみたいなのはある。横のつながりを大切にしている感じはありますね。あの人通さないと大丈夫かな?みたいなね。さすがにそこを無視はできないです。

人間関係を重んじているということ。順番だったり、その人間関係を大切にしていると思います。色々、仕事をもらいますけど、「一応、あの人にも声かけているから。」「あ、はい、いいですよ。そちらで選んでもらって。」という感じですね。江津には家具職人や建具職人はほぼいません。需要みたいなものはあるとは思うんですけど。まだ宣伝が足りないのかな。周知されていない部分はかなりあると思います。

 

「今の寺井さんの事業スタイルを自己紹介するとして、どんな言い方になるのですか?それと起業についても聞かせてください。絶対、俺は一人でやりたいんだ!なのか、それとも誰かと一緒にやりたいのか。どんな感覚ですか?」

寺井さん:木工職人かな。建具もやるし、家具もやるし。木のものであれば、なんでもやりますから。棚でも、お茶碗でも。雑貨でも。起業については「絶対一人で!」では別になかった。つくることが楽しいし、どこに居ようが構わないんです。まあ上司とぶつかることは多々ありました。割と波風立てるタイプだったから。散々揉めてずっと来てるかな(笑。結果的に一人でやってます。気が楽だから。より腕を磨いていきたいとは思ってます。嫁のダメだしすごいから。そこらへんで助けてもらっているなとは思っていますけど。「ここどうしたらいい?」って聞くとすごいから。ここの距離はもっとこれぐらいだな、とか。いいパートナーだけど、言われる方は大変(笑!イメージしているものと作り手のディテールが違うとやり直しになるじゃない。だから、自分のイメージを職人さんに伝えるという意味ではお客さんも大変だと思う。どんな会社でも工務店さんから言われていること。それを形にするっていうのは難しい。そりゃ、(奥さんからの指摘は)いい勉強になりますよ。ひとりでやってよかったと思えることは、好きな時に海に入れること(笑。

 

▲サーファーで自然派。季節柄、こんがり焼けて健康体そのものだ。

「子育て環境としての江津、くらしのなかの江津、ここで育てるっていう意味で思う事はありますか?」

寺井さん:田舎で育てたいっていう奥さんの意向がまずあります。そのメリットを探しましたね。必ずしも学校環境や教育環境とかがいいってわけじゃない。ライバルが少ない分、学力は都会とは違うし。京都にいたときの長男は、あれやれこれやればっかり。習い事も結構していたし。保育園もしつけをしっかりしてくれたかな。嫁さんは自然の中で、なんならフリースクールでもいいぐらい。環境でいうと都会の方がたくさんありますよね。(選択肢の)数がまず違うから。ようやく『わたぼうし』(跡市にできた里山こども園)ができたよね。次男は跡市保育園というところで育ったんですけど、その後にわたぼうしができた。子育て環境がいいのかなって疑問に思う時はありました。わたぼうしが出来て、嫁さんは万々歳。ウチの長男はレールをしっかりひかないと歩かないってタイプでね。真面目。成績も優秀で、学校の先生曰く、「申し分ない」みたい。次男は自由だね。

 

昔の家が古いから壊しちゃうってことですけど、壊してもいい材料があるからそれが使えて空き家活動にもつながる。仕事をやりながら、環境とかモノを大切にすることを常に感じているので、それを子供に教えたい。


 

▲木工職人にとって自分の工房はきっと居心地がいいに違いない。気さくになんでも答えてくれる。

「家族とはどんな風に過ごしているんですか?それから今後の展望を聞かせてください。どんな風に仕事をして、家族や自分がどうありたいかとか。」

寺井さん:だいたい週末はサッカーに連れていきます。ないときは、嫁さん店しているから。いろんなところに連れ出したりしているよね。釣りに行ったり、海に入れたり、山行ってキャンプしたり。そういうのは田舎最高。釣り行けば必ず釣れるし。人少ないしいいよね。

独立してなんとなく3年目になって。ちょっとずつビジコンでいっていたことが浸透してきたかな、の感じはあります。嫁さんが自然派なところがあるから、(そんな指向の人が)集まってきてて。それがこっちの仕事にも影響がありますね。「もったいない、捨てない」指向の人がこちらにも集まってきているという。昔の家をそのまま使いたい。そんな人が来てくれたりね。

それが広く浸透すれば、材料集めの部分がうまくいくんじゃないかなと思っています。昔の家が古いから壊しちゃうってことですけど、壊してもいい材料があるからそれが使えて空き家活用にもつながる。仕事をやりながら、環境とかモノを大切にすることを常に感じているので、それを子供に教えたい。建築物でも時間と歴史にストーリーがある。どういう意味合いで大事にしているのかっていうのが次世代に伝わるといいなと思います。ものづくりをしている人としては、そのあたりを伝えていきたいですね。


寺井さんからまず感じるのは「商売っ気」が表に出て来ないことだ。環境を大切に、という言葉が何度も出ているように力みをほとんどといっていいほど感じさせない。商売っ気があることはもちろん悪いことではないが、寺井さんの自然な雰囲気を心地よいと思う人はきっと少なくないだろう。


寺井さん
:商売っ気ないねとはよく言われますね。そこに重きがいかないんだよね。自分の商品の写真も撮らないし。施工例とか写真たくさん撮っていかないと営業にならないよって言われても四年目でしてないんだから、もうしないよ。たまーに「これいい出来だ!」って時だけ撮るけど。でも宣伝じゃないかな。記録というか記憶的に。勧めるってとこがなくてね、気に入ったら買って下さいって感じです。「こんなん作りたいけど、できます?」「ふーん…」「いくらぐらいですか?」と渋々聞く感じ。あんまり、材料費とか考えてないから。一回帰ってから考えますって感じかな。結構、行き当たりばったりになっちゃうんだけど。(自分の代わりに)宣伝してくれる人が一杯いて助かっています。コロナで仕事がなくなるっていうタイミングもありはしたけど大丈夫かって来てくれる人が結構いたから仕事がないってこともそれほど心配なかった。


「このコロナ禍では産業的にショックがあって、疲弊して悲鳴をあげている人もいれば、まあ、なんとかやっていますよという人もいます。二極化しているようにも感じますが、寺井さんはどう感じていますか?」

寺井さん:商売って感じている人はそう感じているんじゃないですか。自分はあんまり商売って感じていないかも。商売って考えると切羽詰まるかな。人を抱えると商売しないといけないもんね。こいつの分もまかなわなきゃって。一人の気楽さはそこにあるかもしれない。

 

GOGOTSUウェブは都心部に向けてUIターンをしたい人や田舎暮らし、移住に興味がある層に届けたいという意図がある。関係人口や活動人口という言葉があるように、もちろん関わり方はゆるやかなものでもいい。起業して自分のペースでやっている寺井さんに江津でチャレンジしたいという人向けにメッセージや何か伝えたい事があるか伺ってみた。


寺井さん
:田舎暮らしをするにはいいところ。でも仕事は自分でつくっていかないと難しい。起業する目的で来るのなら、そこが難しい。でも、応援してくれる人はとてもたくさんいるからそこは江津がいいと思えるところかな。江津を活性化させたい、という想い?うーん、ビジコンに出る人にはあると思うんだけど。自分はそのへんの感覚弱いけど。周りが自分を助けてくれる感じはありますね。自分がこんなことをやりたい、を伝えて周りに助けてもらうというような。(自分の)道が開けてくる町です。店舗の数や仕事の数は都会よりは少ないけど新しいことにチャレンジできる。今はネットでなんでもできるし、周りがよいしょしてくれるよ。俺も仕事もそれでできているし。

「創造的に生きるってどういうこと?」と聞かれたらどうお答えしますか?

寺井さん:群言堂さんの考えと少し似てるかな。復古創新。サーフィンも昔のスタイルが好きで。シングルフィンに乗るとかね。建物も昔の感じが好きだし。培って来た技術も昔の方がすごかったり。今は簡素化されて手を動かすことが少ないように思う。先を見ているようで、意外と礎が見えていない気がする。古いかっこよさを今の形で伝える、が創造だと思う。決してそれが常に新しいことじゃないと思う。ちょっとここを変えてやるだけで新しくなるかもしれないとかね。Appleとか新しいものも好きだけど。

 

GO GOTSU! special interview #14 / HIDENORI TERAI