KACHIJI BANSHI

石 州  勝 地 半 紙

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“雨に濡れる冬枯れの草の色を、和紙にしたい。”
自然や季節への感性を、現代の生活の中に復活させる。
「石州勝地半紙」の“景色からのものづくり”。

GO GOTSU special interview #07
 

 

江津の中心市街地から車で約40分。江津市桜江町長谷地区は、自然豊かな江津市の中でも、さらに山の中にある。ここに、四季がもたらす暮らしのちょっとした変化の中からヒントを得て、ああでもない、こうでもないと和紙と和紙製品の制作に励む夫婦がいる。工房の隣に設けられた販売コーナーには、和紙を使ったランプシェードや名刺入れなどが並んでいる。

和紙の魅力に惹かれ、深く重みある伝統を残したいという思いを持って日々真摯に紙を漉き続けるいっぽうで、現代の生活の中に調和する新しい和紙との暮らし方を提案しようと試行錯誤を続けているのが、石州勝地半紙の佐々木誠・さとみ夫妻だ。

「ちゃかすかぽん」という独特な音を出す紙の漉き方は、誠さんの叔父からの一子相伝ならぬ“異子相伝”。桜江の山に「ちゃかすかぽん」と音を響かせながら、チャレンジを続ける2人に話を聞いた。

 

歴史を継承しながら、現代の生活に身近なものを


 

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:江津市桜江町は、和紙の生産が盛んなまちでした。残念ながら今はうち一軒だけ。歴史の重さや技術を継承して、今の人たちに受け入れてもらえる、感動してもらえる作品づくりを目指しています。原材料づくりから、商品として完成させてお客様に手渡すところまで。薬剤以外はすべて自分たちでつくっています。

もともと美術系の学校でデザインを学び、印刷関係の仕事をしていたんですが、ものを作りたいという想いがずっとあったんです。

そのころに、伝統工芸士で勝地半紙を一人で守り続けていた叔父の原田宏から「やってみないか」と声を掛けてもらって。ちょうど市内に新しくできる施設(工房が所在する複合施設「風の国」)の中に紙漉き工房を設立するということだったので、何かをつくりたいという気持ちで戻ってきました。

叔父は常々、石州勝地半紙について「うちのものは本物だ」「こういうものをなくしてはいけない」と熱く語っていました。それを聞いて何とかしたい、と。叔父には後継者がいなかったので、何とか残していきたい、伝えていきたいという気持ちがあったんです。

桜江は、古くから交通の要所として栄え、室町時代から、相当量の紙が漉かれ流通していたという。江戸時代に入ると浜田藩(現・桜江町市山)と津和野藩(現・桜江町長谷)、両藩の特産品として紙が盛んに生産され、特に市山村(現・桜江町)の半紙は質の優秀さから、藩は特別扱いの上納品としていたとのこと。佐々木夫妻はこの地の伝統を受け継ぎ、地元産の原料を使用した楮紙や雁皮紙の生産に取り組む一方で、彩色の和紙を使った照明など、現代の生活空間にも取り入れてもらえる新たな和紙製品の開発にも挑戦している。

:たとえば「和紙を、皮でも布でもない第三の素材としてもう一度世間に問うてみたい」という視点もあります。紙布(紙製の糸で織り上げた布)の復活もそうですね。ただつくればいいのではなく、(現代の生活の中での)お洒落なアイテムに昇華させて初めて復活となるのではと思っています。バックに化けても帽子に化けてもいいのですが、「使ってもらってナンボ」ですから。

 

「景色」を写し込むものづくり


 

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そんな佐々木夫妻がものづくりの際に大切にしているのは「景色」なのだという。

:景色を大事にしながらものづくりをしていくと、そのものづくりに付加価値というか、みなさんの信頼が生まれてくるんじゃないかなと思っています。

さとみ:このあたりは自然環境が豊かで、色彩が豊か。たとえば冬枯れの草に雨が降って湿ったときの色がすごくきれいで、そういう色を和紙に再現したいって思うんです。景色の中のいろんなものが仕事にも良い影響を与えてくれている。活力をもたらしてくれる。

:平安時代に女流歌人が恋文を出すとき、二枚の紙を重ねて出したんですね。一枚はきなりで、一枚は季節の色を染めて紙をずらして、それを結び文にして中に季節の花を差し込んで相手に渡した。今の現代人からはそういう感性を失われつつある。そういうものを別の形で復活させられたら面白いかなという思いがあります。和紙が見せる微妙な色合いは季節そのものという感じがします。人間は刺激的な色ではなく、微妙な色合いをむしろ豊かな色として感じると思うんですが、そうしたことをこれから表現できたらいいなと思います。

 

その日のうちに「ここに引っ越して来たい!」


 

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さとみさんは、どのような経緯で誠さんと出会い、石州勝地半紙に関わるようになったのだろうか。

さとみさん:私はずっと田舎暮らしがしたくて。島根は頭にはなかったんですが、島根定住財団の田舎暮らしツアーに参加することになって、初めて島根に来たんです。

そのツアーで、江津に。来てみたら、日本昔話の世界のような「小さい山があって、その緑の中に赤い瓦屋根があって、小さな川が流れて田んぼがあって、…」という風景を見て。はじめて見た時に感激して、その日のうちに「ここに引っ越して来たい!」と思ったんです。

その場で空き家を貸してもらえる話もうかがって、東京に帰ってから一週間後にその空き家を実際に見せてもらって、三か月後にはもう引っ越してきました。

越してきた当初はNPOで活動していて、そのNPOの理事長のご主人が、ここ風の国の支配人をされていました。夫は当時副支配人として、ここの従業員としてホテルの仕事もしながら、紙漉きの仕事をしていたんです。周りの方々からの「くっつけよう」みたいなこともあって(笑)、あっという間に話が進んで、気が付いたら結婚することになっていました。

結婚するときに紙漉きをちゃんとやっていかないと中途半端なことで終わってしまうので、夫にホテルの仕事を辞めて紙漉き一本で独立して欲しいとお願いをしました。そうして、結婚と同時に独立をして、和紙づくりに専念するようになりました。

夫と結婚して、紙を漉くようになって、和紙の素晴らしさを知るようになりました。先人の知恵がたくさん詰まったものが日本各地でどんどん消えていくのが現状です。和紙をなるべく身近な物に商品化して、その良さを一人でも多くの人に伝えていきたいという思いで、私も日々商品を作っています。

 

2人で喧々諤々言い合うこと、他の人の声を聴くこと。


 

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誠さん:それまでは、試行錯誤していても、僕一人では限界があって発想が膨らみませんでした。結婚してお互いにあれこれ言い合いながらものをつくっていくと、お客様から「いいね!」と言われることが増えていったんです。実際に和紙が隆盛を極めた時代は、何千軒という和紙の農家が切磋琢磨して競い合っていて、おのずと新しいものが生まれてくるという面がありました。今は和紙をつくるところも減って競争もないし、「こうしたほうがいいんじゃないか」という対話も起きない。だからこそ、夫婦でお互いに喧々諤々、言い合うことが大事だと思っています。

お客さまの声も、私たちのモチベーションになっています。ギャラリーに入ってきたお客さまから「おっ」という声を聞くと嬉しくなる。「和紙でもここまで表現できるんだ」なんて声を聞けば、もっともっといいものを作りたいという気持ちになっていきます。

さとみさん:市の担当の方にも、お世話になっています。若いのに知識があって、すごく熱心に接してくれている。私たちが作ったものに「これ、いいじゃないですか!」とか「職員が欲しいと言っていますよ」という声を聞かせてくれて。やる気を湧かせてくれる、嬉しい存在で、ありがたいですね。

 

江津では、ものの見方が変わる。人間らしくなる。


 

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さとみさん:「豊かさ」の定義は人によって違うけど、私が田舎暮らしをしようと思ったきっかけは、阪神大震災で、ものが一瞬で消えたり人が亡くなったりすることに衝撃を受けたことで。「消費する社会」に自分がいることに、違うんじゃないかなって思ったんです。人間らしく生きたいと思った。それがどういうことなのかは、自分でもいまだにわからないことなんですが。ともかく、そんな想いがきっかけで田舎暮らしをしようと思って引っ越してきました。

田舎暮らしは、都会とは習慣や文化は違うので大変なこともあるけれど、四季の移り変わりの中で、あるいは一日の中でも、そのときにしかない美しい風景が見られて。大変さを上回る豊かさを感じています。

たとえば、こちらに引っ越してきてから、仕事で東京へ行ったときに「音」に違和感を覚えるようになりました。こちらでは野鳥の声や風の音を聴くんですが、そういった豊かな音が都会には全くないこと、そんな中で私は生活してきたんだなと思うことがあります。

また、たとえば、都会ではホームレスのような方々が存在することはしかたのないことだと思っていたんですが、田舎暮らしをして、そういう人たちがいない社会がここにあることに気づいて。置き去りにされている人たちがいるのを当然として過ごしていた自分がいたことに、改めて気づきました。

こういうことって、本当はすごいことじゃないかなと思うんです。田舎では、ものの見方が変わる。それから、できること、できないことが自分の中ではっきりしてくる。そういう意味で人間らしくなるのかなという気がしています。

 

GO GOTSU! special interview #07 / sekisyu kachiji banshi