K STAND TALKING  KEIKO TOKUDA & KAORI SASAKI

カフェ
K Stand Talking
(K スタンドトーキング)

2人がハッピーじゃないとお客さんにはいいものを届けられないし、
いい空間がつくれないよねって。
自分らが楽しいなとか面白そうとか思えないことはしない。
あとは、とりあえずやってみようぜ!っていう。
ダメだったらやめたらいいじゃんっていう感じかな。

GO GOTSU special interview #12
 

 

江津に賑わいが出てきた、と感じさせることのひとつに中心市街地の活性化があげられる。商店街の雰囲気はそのままその町の顔となる。空き家を活用した商店街の取り組みはこの町でも大きな課題だ。

「お店を構える」ことは見方によればリスクだが、Uターンした若手女子2人組がカフェを立ち上げると聞けば世間は放ってはおかない。それだけでインパクトがあり、ニュースになり、注目される。そして愛された彼女たちにはたくさんの支援の手が伸びた。

カフェの名前はK Stand Talking(ケー・スタンド・トーキング)。江津出身の徳田恵子さんと佐々木香織さんが立ち上げたコーヒースタンドだ。二人は中学・高校時代の同級生。社会人になっても会うたびに「いつか江津でカフェをやりたいよね」と話していたという。時を経て2017年、その夢が現実のものとなる。県外での仕事、ここまでの経緯、今見る江津のまち、お店のこと、ふたりのこと、たっぷり話しを伺った。

 

高校卒業後の県外暮らし。大阪、広島、海外トリップ。そこで少しづつ考え始めた将来の自分。(佐々木さん)


 

▲社会人として時間を過ごすうちに「海外で生活してみたい」と思うようになったという佐々木さん。(写真はオーストラリア・バイロンベイのビーチ)

 

「K Stand Talkng(以下、Kスタ)がオープンしたのは2017年ですね。お店が始まるまでの経緯を聞かせてください。Uターンすることを決めて、お店をやるということを決めて、Go-Conに出るまでを一区切りに。」

佐々木香織さん(以下、佐々木さん):江津で生まれて、高校まで江津で育ちました。そこから大阪へ行きました。大阪へ行った理由はすごく食に興味があったからです。何か作ったりするのが好きで栄養士資格が取れる短大に行きました。(資格は)取ったんですけど、色々勉強していく中で給食とかはちょっと違うなって。その後、全然関係ないところに就職してしまって。大阪で4年ぐらい働いて広島に行き、1年半ぐらい広島で過ごし、その後、死ぬまでに1回海外で生活をしてみたいなと思って海外へ行きました。自分の人生ってどれぐらいの小さい荷物で生きていけるのかなっていうのを思って、バックパッカーになったんですよ。

 

「とても直感的ですね。海外はどこの国に行ったんですか?」

佐々木さん:ワーキングホリデーでカナダのバンクーバーに行きました。語学学校に行きながらホームステイして、オーガニックのお寿司屋さんで働きながら暮らしました。今思ったらすっごい楽しい感じでした。朝起きるのが苦じゃない日々。普通だったら眠たいってなるじゃないですか。でも「朝が来たよ!」みたいな感じで日々過ごせてました。多分緊張とかもあると思うんですけど、朝眠たいっていう日がなかった気がします。

バンクーバーで半年ぐらい過ごした後は、リュックひとつでオーストラリアに行きました。ゴールドコーストに最初に降りて、その周辺やバイロンベイでも3週間ぐらい過ごして、最終的にケアンズに行って帰ってきました。オーストラリアでは働いていなくてずっと移動・移動・移動っていう感じでした。家も決めないで1人です。何日か泊まったら別の所、何日か泊まって別の所みたいに。めっちゃ安いところを転々として。3、4ヶ月ぐらいかな。その後に江津に帰ってきました。2016年くらいの話です。

 

「大阪で社会人になったときや広島時代の話しをもう少し詳しく聞かせてもらえますか?」

大阪では、栄養士と栄養教諭の資格が取れる短大に行きました。国際大学みたいな感じだったけえ、語学系や、保育系、あとスポーツ学科やリハビリ関係とかいろんな学科がありましたね。その後、大阪の食品トレーの商社に就職しました。関西圏のスーパー全部のプラスチックトレーを扱ってる商社で、そこで営業さんのアシスタントとして、受注発注と在庫管理とかをやっていました。4年間ぐらいですね。社会人になって初めて、社会で働くっていうことがこんなに大変だったんだっていうことを知りました。常識とかもわからんじゃないですか。ファックス1枚にしても御社って書いてあったらピッピッて消すとかそんなんもわからんし、会社ってこんな感じなんだって思いましたね。

徳田恵子さん(以下、徳田さん):超病んでたよね、あの頃(苦笑。

佐々木さん:もう何か、なんだかすごく「はー」って感じでしたね。働くってこうなん?って思いました。県外に出た動機はやっぱり江津じゃなくて、一回都会に出ようと思ったんですね。栄養士を取るために必要だったというのもありますけど、広島かな、大阪かな、どっちのほうが楽しいかななんて考えながら、という感じでした。広島に行ったきっかけは、徳田さんが住んでたからで、自分が大阪にいたときから月に1回ぐらいは会ってました。何か近くに住んだら楽しいかなと思ったりして、自分も大阪はもういいかなとか思ってたし、広島に行ったら実家も近くなるし、一回広島に暮らしてみようと思って。徳田さんとは、3年の卒業間際と卒業してからかな、それからが本当に仲良くて。だけえ、お互い社会人になっても月に1回、岡山とか広島、大阪とかいろいろ旅行を兼ねて遊んだりしてました。

 

接客の仕事がずっとしたかった。ホテルで仕事をしました。スタバでも働いてたけど、それは素晴らしい経験だった。(徳田さん)


 

▲あけぼの商店街にある店舗。以前は喫茶店、52Barなど親しまれた物件だったため、手を入れてはいるがほぼ居抜きで使える好条件でもあった。

 

「では徳田さん、同じ時系列でご自身のこれまでの振り返りを聞かせていただけますか?」

徳田さん私は、高校までは江津にいて、江津中、江津高校でした。その後、進学を考えたときに(今みたいに)江津には何もなくて、本当に何にもなくて、江津に残るっていう選択肢が1ミリもなかったんですよ。だけえ、都会に憧れもあったし、絶対進学は都会に出たいなと思ってました。それで、自分が何になりたいか考えたときに、接客の仕事をずっとしたかったので、ホテルマンになりたいなって思ってたんですよ、その頃。高校のときにハンド部だったんですけど、遠征で神戸のホテルに泊まったときに、ホテルマンの人めっちゃかっこいいなと思ったんです。感動して。それで、ホテルで働いたら一流の接客サービスを学べるかなと思って、そのときからホテルで働きたいなって思っていました。

進学もホテルの専門学校っていう頭しかなくて、だけえホテルの専門学校を探してました。京都か広島かで迷ってたんですけど、江津との近さもあって広島の専門学校に進学しました。専門学校なんで、専門的な知識とか実習とかを中心に、2年間学びました。

そのままホテルに就職したかと思いきや、そのときにリーマンショックで、ホテルの新卒採用が全然なかったので、最初は町場のレストランカフェみたいなところで1年間ぐらい働いてたんですよ。でも、やっぱり、ホテルで働きたいなっていう思いはずっと持っていて、そのとき、先輩に声をかけてもらって、そこから4年半ぐらいそのホテルで働いていました。

でも4年半ぐらい経ったときに、何かふと、私このままここにずっといるんだろうか…みたいに思い始めました。深夜2時、3時ぐらいに帰ることとかもザラだったけえ、すごいしんどくなっちゃって。そこで一回ふと立ち止まり、私、このままでいいんかな、何したらいいんかなと思ったときに、佐々木さんと同じように、私も海外行ってみようかなと思ったんですよ。思い立ったら即行動なんで、とりあえずお金貯めなきゃってなって。
働くならスタバで働こうかなと思いました。コーヒーもすごい好きでしたし、働いてる人たちの雰囲気にもすごい憧れてて。26、27歳ぐらいまで働いてて、今につながるような知識とか勉強をすごいさせてもらいました。多分、スタバで働きたかったり、ホテルで働きたかったりした根底には、どこか自分でこういうお店をやりたいなっていうのがずっとあったから、そういうところを選んできたんだと思います。あと、2人で一緒にカフェ巡りをして、そこから自分たちの店を妄想するのがすごい好きだったんで、そういうのが今につながってるのかなと思います。

 

「その頃に佐々木さんとカフェ巡りをしながら、夢物語は始まっていたんですね。」

徳田さん:始まってましたね、きっとね。いや、まさかできるとは思ってなかったですよ。まさかできると思ってないし、するとも思ってないけど、その話をしてるときが、現実逃避じゃないですけど、一番2人の中での楽しい時間でした。こういうケーキいいよね〜とか、この店の雰囲気いいよね〜とか、BGMが最高じゃん!何これ?みたいなのとか、そういうのをしゃべってるのがすごく楽しかったですね。

スタバがすごく良い会社だなって思ったのは、私は最終的に辞めるまでアルバイトだったんですが、バイトだろうが社員だろうが店長だろうが、お客さんにどういう接客をしたら満足させられるか、っていうことを皆が常に考えていて、まさにワンチームなんですよね。どの立場でも、そのときの自分ができる最大のサービス精神でお客様をお迎えするっていうのが徹底されているんです。「社員になりたいな」っていう気持ちも一瞬芽生えたりもしたんですけど、でも本当に腹くくって(江津に)帰ってきたいなって思い始めたときに、店長にそれを相談したら、普通だったら辞める子に対して、じゃあどうぞみたいに、見放すのが普通じゃないですか。ですけど、じゃあ1年後に私がお店をやるって目標を立てたときに、何が必要なのかを1年かけて教えてくれて。もういなくなるって分かってるのに、素晴らしいなと思って。そういう誠実さとかがすごく好きでしたね。

私がスタバで働いてたときは、佐々木さんは海外にいたんですよ。具体的に帰る時期を約束してたわけではなかったんですけど、多分、お互い心のどこかで「カフェをやりたい」っていう気持ちが残ってたんだと思います。だから、やれるかわかんないけど、私は同じカフェっていう業種で活かせることを精いっぱい学ぼうと思ってたし、佐々木さんは佐々木さんで、海外はカフェが地域のサードプレイスみたいになってるから、その雰囲気だったりとか、商品とか、あり方みたいなのを勉強するって巡ってくれてました。

 

「江津でカフェやりたいんだよね。」と言ったらいろんな人を紹介されてトントン拍子に話が進んだ。(徳田さん)


 

▲入りやすい店構えと軽やかに楽しめるカフェメニュー。誰かとくつろいでもいいし、ひとりでサッとコーヒーを飲むにも最適な場所だ

お互いそれぞれで自分ができることをその場でやっていて、それで、多分私が、帰省した時に地元の子に、「カフェとかやりたいんだよね〜」みたいなのをちらっと言ったんですよ。そしたら、盆子原さんというタウンマネージャーさんを紹介してくれて、そこからトントン拍子に話が進みました。すぐに空き家とかを紹介してくれて、そこからはすごく早かったんですよね。  それで、私が広島にいたから、ちょくちょく帰ってきて、話を聞いたり、物件を見たりしてたんですけど、それで佐々木さんに電話して「まじで江津でできるかもしれん」って話しをしたら「え、だったら帰るわ」って言って帰ってきてくれました。

 

帰るたびに感じる江津の安心感とすでに面白いことをやりはじめている人たちの影響。そこで描く自分たちの仕事と暮らし。

 

「お二人が出ていったときの江津は本当に何もなかった。都会で社会人経験を積んだ後に江津に戻ろうと思うときは、おそらく自分の中の成長だったり気持ちの変化があると思うんです。人生これからどうしようかって向き合うことだったり。そのとき、今までになかった視点で江津が見えたんじゃないかなと思うんですが、いかがでしたか?」

徳田さん:学生の頃は自分たちのまちの良さとかって、今でこそキャリア教育とかありますけど、当時はそういうのは全然なかったですし、このまちの良さを聞かれても何も答えられなかった。瓦?有名ですよね、みたいな、ほんとそのくらいのレベルでした。でも、一回離れて、自分たちが江津に帰ってくる度に生まれ育ったまちの安心感は何となく感じてました。そして、その頃が、てごねっと(NPO法人てごねっと石見)の方たちがいろいろ面白いことをやり始めてた時期でした。

 

「江津へ帰ってきて、佐々木さんと合流して、そのままK Stand Talkingをつくろうって、どういう経緯でそこまで行ったんですか?きっかけの一つはGo-Con(江津市ビジネスプランコンテスト)ですか?」

徳田さん:そうですね。佐々木さんが4月に、私が5月に江津に帰ってきて、カフェをやりたいっていう気持ちはあったんですけど、お互い好きなことをやってきたからお金がなかったので、2人でアルバイトを始めたのがスタートでした。そこが始まりで、「よし、今からお金を貯めて頑張ろう」ってなってたときに、Go-Conを紹介されました。お店やりたいってことを周りの人に言ってたから、それならPRも兼ねてGo-Conに出してみたら?ってすごい勧められて、そこからGo-Conの準備を始めました。8月頃です。

 

▲人気メニューのやさしいサンド。コーヒーとともにここでモーニングをとる人も多い。(写真提供:K Stand Talking)

Go-Conに出場したのも、多田さん(風のえんがわオーナー)や東さん(豆茶香オーナー)の影響がすごく大きかったです。話を聞いてもらったりお店をやりたいっていう「思い」の部分をすごく引き出してもらいました。始めは「何となくただ江津でお店やりたいな」ぐらいでしたけど、でもどうせやるんだったら江津盛り上げたい、みたいな気持ちが出てきましたね。

佐々木さん:まだお店はありませんでしたけど、朝にやる豆茶香マーケットやイベントに出させてもらったりしながら、お店のコンセプトとかについて話をしてました。Go-Conに出るにあたって、みんながすごく心配してくれて、何の得もないのに優しくしてくれて、すごいあったかいなって思いましたね。

徳田さん:ほんとそう思いました。でも、特別かなって思ってたんですよ。多田さんとか東さんだから応援してくれるのかなって思ってたんですけど、後から考えたら、多分江津ってそういう風土なんだなって思いました。その後も、その方たちだけじゃなくて、みんなが、何かやろうって思ってる人の背中を押してくれる人たちばっかりでした。こんなポンコツ2人ですよ、だって。

佐々木さん:声もかけたくない。勝手にやっとけばって感じじゃないですか。絶対関わりたくないですよ、普通だったら(笑。

徳田さん:Go-Conも、うちら、馬鹿じゃけえ、そんな思いとかも自分たちで探れない感じなんですよ。あるんですけど、客観的に上手く表現できなくて、それなのに、みんなが上手いこと上手いこと引き出してくれる。竹内さん(てごねっと職員)と森脇さん(当時の地域振興室の市職員)がずっと話を聞いてくれてて、すごく良くしてくれましたね。

 

「そうやってサポートしている人たちが指南してくれるから、できそうだなって思えたわけですね。Go-Conに出ることも、そこでプレゼンすることもやりながら自信がついていったのでしょうか?」

徳田さん:そうですね。Go-Conって(収支計画とか)具体的なところまでちゃんと考えないといけない。だけえ、ふわっとしてた部分が、どんどんどんどん半ば強制的に超具体化されていって、それを見ると自信にもなるし、本当にやるんだな私たち、っていう覚悟もあの頃に決まった気がします。

 

当日は大賞は逃したが、会場賞を受賞。コンテスト観覧者の中には彼女たちの一生懸命なプレゼンを聞いて、涙を流した人もいたという。自分たちのことはあまり客観的に見えないかも知れないが、Go-Conやまわりで見ている人たちが多い中で、一体どんな感触だったのだろうか。

徳田さん:本気で大賞取ろうと思ってて、必死でした。ただでさえ資金がないけえ、大賞賞金100万円も魅力的でしたし、しかも、それまでに応援してくれた人がめちゃめちゃいたので、ここで大賞取らないと顔向けできんわ、ぐらいに思ってました。夜7時8時ぐらいまでずっと残って、山口さん(「石見麦酒」として2014年度大賞受賞)とかも来てくれたり、ほんといろんな人が来てくれて、必死でした。

コンテストがあった12月の時点では、今の場所を使えるかは分からなかったんですけど、ここでお店ができたらいいな、とは考えてました。以前は52Barっていうバーがあって、もっと前は喫茶店だった。そのままの状態で空いてたし、リノベーションすればすぐできるレベルでした。

佐々木さん:リノベーションしてくれたのはスキモノさん(Design Office Sukimono)です。自分らがこういう風にしてくださいとかはなくて、完成したところに入っている感じです。

徳田さん:初期投資も全然なかったですし、すごいサポートを受けることができた、という感じです。ほぼ資金ゼロで江津に帰ってきて、その約1年後にはオープンしてるんで、自分でもびっくりですよ。(※現在はオープンして3年目。)

 

働く環境、やりがい、結婚や子育て、そして将来の自分のイメージ。それを具現化できつつある江津のまち。

 

▲とにかく誰にでもフレンドリーに話かけてくれる二人。この二人の笑顔こそがKスタの最大の魅力である。

今この町でお店をやってきて、それは自分たちで生きているっていうことだと思うんです。管理されずに、雇われずにやっているっていうところで、大変なこともあるとは思います。その中で家庭を持ったり、子育てがはじまったりとか暮らしも変わってきていますよね。今どんな風にこの町での暮らしを感じていますか?

徳田さん:私は、25、26歳ぐらいに、これからの自分の人生を考えたときに、お店ももちろんやりたいし、でもあわよくば30歳までに結婚して子供も欲しいと思ってました。そんなん絶対叶うわけないと思ってたけど、実際に今結婚して子供がいて、それが全部叶ってて、それって絶対江津じゃないと無理だったんですよね。

都会で起業してたら、もっとほんと必死に働かないと、経営なんて成り立たないじゃないですか。週2日も休み、自分のプライベートもしっかりあって、10時〜17時の営業時間。自分の時間があるけえこそ、多分ちゃんと結婚できて、家庭っていうものを持つこともできたんだと思います。それが江津でやってる良さだと思うし、すごいありがたいなって感じます。江津に帰ってきて、周りの人が応援してくださるのもあるんですけど、そんな店を受け入れて、それでも通ってくれる人がいて、こうやって毎日来てくださる人がいて。こんな自分たちの好き勝手やってるのに、2年半お店が継続できてるから、そこはすごい大きいと思うんですよね。

佐々木さん:最高!幸せ!ハッピー!ばかりではないですけど、でも今思っても都会でやるか、江津でやるかってなったら、絶対私は江津だなって思います。何なんだろうね、心に余裕ができるのかなと思います。

 

「江津には「山陰の創造力特区へ。」のスローガンがありますよね。おふたりにとって、自分にとって”創造して生きる”っていうことは、どんなふうに生きることだと考えられますか?クリエイティブに生きるって -自分に置き換えてみて- クリエイティブな暮らしってなんでしょうか?

徳田さん:自分たちがこの店を始める前にも考えたんですよ。理念的なのがあったほうがいいんかなって考えたときに、2人でそんな堅苦しいこととか全然考えられなくて。じゃあ、どうやったら続けていけるかなって考えたときに2人で思ったのは、2人がハッピーじゃないとお客さんにはいいものを届けられないし、いい空間がつくれない、ってことでした。

 

▲イベント出展への声がけもたくさん。焼き菓子もすべて手作りだ。(写真提供:K Stand Talking)

 

徳田さん:自分たちがこの店を始める前にも考えたんですよ。理念的なのがあったほうがいいんかなって考えたときに、2人でそんな堅苦しいこととか全然考えられなくて。じゃあ、どうやったら続けていけるかなって考えたときに2人で思ったのは、2人がハッピーじゃないとお客さんにはいいものを届けられないし、いい空間がつくれない、ってことでした。  何を大事にしてるかと言われたら、自分達の心が揺らぐというか、自分達が楽しいなとか、面白そうとか思えないことはしないっていうのはあるかもしれないですね。あとは、とりあえずやってみようぜ!っていう。とりあえずやってから、ダメだったらやめたらいいじゃんっていう感じかな。自分たちのハッピーじゃないことには手出さんよね。

佐々木さん:はい、ほんとに。徳田さんにいつも笑わせてもらっているなっていうのはすごくあります。

徳田さん:似てるところはもちろん多いんですけど、結構考え方とか正反対なんですよ。だけえ、プラスとマイナスじゃないですけど、何か新しいことを始めたいと思っても、違う意見をぶつかり合わせられるんですよ。1人だったら自分の考えしかないじゃないですか。その良さもきっとあるんですけど、自分が思ってなかったこととか、考えてなかったことを気づかせてくれますね。

 

 

 

GO GOTSU! special interview #12 / K STAND TALKING  KEIKO TOKUDA & KAORI SASAKI