KEISUKE SHIMIZU

農業・生産者
有限会社 スプラウト島根 清水啓介

県外へ出ても10代の頃から「いつか島根に帰る」とは決めていました。
地元に貢献できる仕事をしようと農業の世界へ。
理にかなった農法を誇りに思い、拘ること。
絶対こうじゃなきゃいけないという固定観念に囚われない考え方も
自分より下の世代には持っていて欲しい。

GO GOTSU special interview #15
 

 

江津市の中山間地域、桜江町市山にある有限会社スプラウト島根を訪ねた。同社は大麦若葉、えごま、6条大麦(もち麦)、お米、大豆、小麦、ハト麦、生姜などの作物を農薬・化学肥料を使わず、有機栽培で育て、有機JAS認証を取得している。 

有機農業とは、化学的に合成された肥料、農薬を使用せず、かつ遺伝子組換え技術を利用しないことが基本にあり、農業の自然循環機能を考え、生態系との調和を図ること、なにより環境への負荷をできる限り低減しようとする農法だ。手間と労力がかかることは素人でも想像できるだろう。 

今回お話しを伺ったのは圃場はもちろん、会社全体のマネージメントも担当している清水啓介さんだ。第一印象は爽やかで、穏やかに話をはじめてくれた。

 

元々大学生の頃から、10年ぐらい経ったら島根に帰って仕事したいと思っていたんです。


 

▲江津市松川町にある圃場。日当たりがよく、ここでは大麦若葉が栽培されている。

 

「清水さんはスプラウト島根でどういった内容のお仕事をしているのでしょうか?またここで仕事をするに至った経緯を教えてください。」

清水啓介さん(以下、清水さん):役割的にはマネージメント的なところをやっています。弊社社長は従業員に対して上下をつけない考え方として社内に組織図のようなものはありません。社長以下、従業員という感じですね。自然と主体性が問われているんだと思います。私は大田市出身で大学進学で広島へ出ました。東京で建設業に就職し、5年間建築会社で働きました。ところが3年目で病気になったんです。皮膚ガンが見つかって。1年ぐらいは通院して治療して、という生活が続きました。現場から離れて内勤をしていた時期もあります。

建設業を辞めるに至った経緯としては元々大学生の頃から、10年ぐらい経ったら島根に帰って仕事したいと思っていたんです。そのために貯金はしておきたいと思い、なるべくいい企業へ就職が必要と考えて建設業に行きました。施工管理の会社に入ったのですが世間ではブラック企業と呼ばれていましたね(苦笑。続けているうちに2〜3年目の頃ですかね、ちょっと違うな、ということを感じていました。よくあるパターンといいますか、入院中ゆっくり考える時間がありました。

ゆっくり自分の時間を持てないまま「30年、40年この仕事を続けていくのか?面白くないな」と思ったわけです。10年待たずして島根に戻りたいなと思ったわけです。治療が終わった頃、(島根に戻る)準備を始めようかな、と調べていたところ「2013年しまねUIターンフェア(主催:ふるさと島根定住財団)」の東京会場に足を運びました。

 

島根に戻ろうと考えて、どんな系統の業種に興味があったのでしょうか?

清水さん地元に貢献できるような職業がいいなと。まず大田市を考えました。大田で今必要とされている仕事はなにかと色々考えて最終的にたどりついたのが農業でした。ただ実家は農家でもないし、知識もノウハウもないですし、いきなり自営は難しい。そんなときに知人の方が江津市を紹介してくれたんです。具体的には小田営農組合(江津市桜江町)さんというところです。高齢化が進んでいて「事業をやめたい」という話でした。「あんたが後継になってくれたら嬉しい。」とも言われました。今から7年前ですね。

小田営農組合は米が生産の大半を占めていました。34ヘクタールあって、真ん中に事務所があるというこれ以上ないくらいの一等地。いい条件でしたし、そこで就職させてもらうことになりました。慣行栽培で、農薬も化学肥料も使う従来の方法でやられていました。何もわからず入って、ここで3年間ほどやらせてもらいました。

その後、もう少しいい方法、というか持続可能な方法で農業ができないかなという思いがありました。当時の組合長が(スプラウト島根の)社長の安原でした。大麦若葉の栽培で稼いでいる、ということも聞いていました。先進的で、他でやっていないことに取り組む姿勢やフットワークの軽さみたいなのを(スプラウト島根に)感じたんですね。面白そうだなと。社長のところの次男坊さんが専務でやられていて「ちょっとウチに入ってやってみないか」というお話いただき、2016年の秋にスプラウト島根に入りました。

 

「既に起業しようというかこれからは自分でやっていくぞ、という姿勢を感じたのですが、元々清水さんはそういう性格だったのでしょうか?」

清水さん:建設業の時も雇われ、使われていました。ずっとそれではつまらないな、はありましたね。人と何かをするってなると意見が合うとは限らないし。それにストレス感じるぐらいなら、わざわざやりたくもない。 それなら自分が頭になってやりたい、というのはありましたね。

 

▲桜江町にある事務所でお話を伺った。社会人になりたての頃に患った病気がきっかけで暮らしや仕事を振り返ることになった。

 

建設業から異業種の転職を考えた背景には、病気を患ったことや、人間関係を見つめ直すという理由があったのでしょうか。農業に携わることで自分の人生観に向き合ったのではないかと思うのですが、そのあたりはいかがでしょうか?

 

清水さん:高校生ぐらいから、のんびりしている自然に囲まれながら、それで飯食えるっていいなと憧れてたんです。理想というか。老後は絶対農業していこう、と大学でも建築の同じ学科の友人数名と話していたぐらいなのでなんとなく、頭の片隅に農業に就きたいというイメージはありました。病気については、自分がなるとも思っていなかったですけど、そこまで悲観的ではなかったんです。当時(建設業)は激務だったのでまあ休めるわ、くらいプラスの考えでした。「人生、何が起こるかわからんわ。10年先良い事待っている間で死んでもしょうがないしな。我慢しているぐらいなら今、やりたいことやってみようかな」と。 農業は少子高齢化の問題や後継者不足の問題があります。休耕田、農地はどんどん空いてくる。チャンスでは?と思いました。工業や商業は知識がないと勝負できないけど、農業は素人でもトライできるんじゃないかと思ったんです。舐めていたわけではありません。

 

「ちょっと話がそれるんですが、清水さんは普段、どんなことがお好きなんですか?趣味とかプライベートについてもお聞きしたいです。

清水さん:趣味も家庭菜園というか…(笑。田んぼが一枚あって。将来自営するための準備、特訓しています。去年からイオンとかで産直市にも出していて。休みの日にも時間あれば農業やってますよ。強いて言えば、、東京にいた頃にバイクに乗りたいと思っていました。アメリカンに乗って走りたい。週末免許取りに行こうと思って。既に(バイクを)購入していたので、無事に免許も取りまして。 家族の構成ですか?子供は2人で4人家族です。妻は趣味やバイクのところでも理解してくれていますし、将来的に独立することにも応援、理解のある人です。介護職をしているので、収入の面でも頼りになるかな、と思っていますね。

 

スプラウト島根の農業スタイルは冒頭に触れたとおり、有機JAS認証を取得している。環境に負荷をかけず、農薬も使わないスタイルだ。「こんな風に、こういう仕事がしたい」という信条がある人にとってはこだわりのあるスタイルがあることは仕事のモチベーションになるはずである。自然に大きく左右されるものである限り、農業にゴールはないという話はよく聞く。この4年間同社で働きながら、今何を考えて仕事に取り組んでいるのだろうか。

 

清水さん:社長の考え方として「有機JAS」というものがあります。今後世界的に、ヨーロッパでもそうですが輸出するにしても、認証がないと扱ってくれないというようなことが起きています。社長は有機JASにこだわっています。近い将来穀物にしても需要が上がってくるのではないか、と。先を見越して取り組み続けたいと。面積で言っても(有機JAS圃場は)割合で言えば全国で1%にも満たないものです。なす、かぼちゃ、ブロッコリーなどの慣行栽培も行っていますがそれは仕事をつくる、というイメージでもあり、リスク分散ということでもあります。

基本的には有機JASにのっとった栽培をしていきたい方向です。有機栽培、穀物の販売営業みたいなこともさせてもらっているんですが、見たり聞いたりしても需要があると感じます。売り方を考えて、努力すれば小さい会社ならやっていける市場だと思っています。将来的に自営農業するにしても有機の認証を取る事を目標にしていきたいですね。有機栽培の方が、土も悪くならないですしね、こういうことは反田さん(※編集注:自然栽培のごぼうで有名な桜江町の農家)の影響が大きいと思います。

小田営農組合にいるころから反田さんのことは知っていました。自宅におじゃまして、ご飯を一緒に食べて、圃場を巡るツアーというんですかね、毎年やられています。島根に戻った1年目に、市の方から企画を紹介してもらい、それが反田さんとの出会いでした。そこで自然栽培を知りましたね。こんな世界があるんだと思いました。持続可能な農業、こちらに行き着く方がいいなと思っています。

 

 

ウチみたいに麦とかお米もそうですけどある程度の流通体系が(自社で)それなりにできていれば、有機野菜だからと言ってそこまで高くしなくても栽培コストはうまくすれば安上がりなんですよ。


 

▲松川町の圃場にて大麦若葉の収穫作業。青汁など様々な用途がある。

 

野菜を育てるという行為は、日々生き物を相手にしていることに等しい。例えば道の駅では有機栽培の手間がかかった野菜が100円程度で販売されている。消費者としてとても嬉しいことだが、「こんな金額で売っていいのだろうか。」と思うことはある。嬉しい反面、生産者方々の見えない努力、認証を取るに至るまでのご苦労があるはずだ。消費者としての嬉しい気持ちと流通の矛盾を感じてしまうのだが、市場に合わせなければいけないというジレンマは生産者としてはどう考えているのだろうか。

 

清水さん:生姜を有機で出しているんですね。値段をつけるときに、高ければいいってわけじゃないんですが、有機JASをとるための苦労が収入としてマイナスになっていくことは避けたいですし、値段の付け方が難しいというのはあります。ウチみたいに麦とかお米もそうですけどある程度の流通体系が(自社で)それなりにできていればそこまで高くしなくても栽培コストはうまくすれば安上がりなんですよ、慣行栽培よりも。その分収量が落ちるというか、記録をつけないといけないので人件費というか、手間が出てしまうことはあるんですけど。そのへんをうまくやってクリアすれば倍とか3倍まで、そこまであげなくてもいけます。努力しているところをみてほしいですね。1.2倍ぐらいでは売りたいな、という気持ちはありますね。どんな作物にしても。収量と価格をつけるバランスづくりはテーマですね。

 

▲6月に撮影させていただいた松川町にあるもうひとつの圃場での苗。

 

 

清水さんと農家仲間たちが写っている写真を見ました。同世代の人と肩を組んでいてみなさんいい笑顔で素敵でした。江津にこんな人達がいたんだ、あんなふうに近い世代で仲間がいて、素晴らしいと思ったんです。なんでそんな近い世代が集まったのでしょうか。

清水さん:7年前福岡からUターンした社長の次男坊さんです。大麦若葉の事業を拡大していく中で人手がいるというところで。次男坊さんの同級生に声かけて入ってもらったという経緯ですね。知り合いに声かけたから同世代が集まった。年が近いのが集まったというのと、いい意味でも悪い意味でも社風がゆるいというかガチガチにしない、和気あいあいとできる、楽しくやれている部分だと思います。

スプラウト島根といえば大麦若葉ですね。いくら売れなくなったとはいえ品質的には一定の評価をいただいているんです。桜江町で作っているものは他産地と比べて甘みとコクが違うと年に1回視察に来られていたメーカーさんと仲卸さんが言っていました。美味しいし、青汁にした時に飲みやすいと。未だに無農薬で作っていますし、そこは誇りに思ってこだわっています。

▲会社には偶然にも同世代が集まった。「いい意味でも悪い意味でも社風がゆるいというかガチガチにしない、和気あいあいとできる、楽しくやれている部分」だという。

いずれまた有機JASの大麦若葉が見直される時が10年スパンで見れば来るのではないかと思っています。今も、売上ベースでいけば柱は大麦若葉なんですよ、実際。そのなかに大豆とか米とかえごまとかつけていけばいいなと。穀物系もち麦、大豆、小麦は食料自給率が低水準で止まっていますよね。小麦、大豆は海外産、これを国産にしていきたい。国が考えているだけでなく小麦大豆はたくさん消費していますから、それを海外に依存しているのはどうかなと思いますよね。栽培技術としてはまだまだですし、微々たるものでも自分たちも貢献できればいいと思っています。

 

「顔が見える地域内の流通はあるのでしょうか。江津市からのご紹介を受けたりと町の中でのつながりは一つの事業会社としては小さいものではないものでしょうか。」

清水さん:蔵庭(松川町)さん、舞乃市(後地町)さんのような場所でも取引しています。ほとんど市役所の農林水産課の方から紹介してもらって、つながったと思います。ほとんど頼っているというか、スプラウト島根という会社を気にかけてくれています。補助事業や助成金もそうですがサポートが多く、このように手厚い支援は珍しいのかな、とも思います。課の方は市内の企業さんとか熟知されていますし、市役所が農業法人にこんなに協力してくれる、というのはなかなかないので。江津は距離が近いというか、いい感じですね。江津でやった方がいいと思う部分です。

 

都心部でも将来についてモヤモヤと考えている若い世代は少なくないだろう。地方移住を掲げるメディアもある。コロナ禍真っ只中、改めて働き方や暮らし方が問われるこの時勢で農業を志したい、江津で就農してみたいという人もきっと出てくるだろう。まだ見ぬ就農UIターンする人に向けて「いい土地に巡り合うこと」や「流れをつくる必要や方法」「こういうことって大事」と思うことがあればぜひ聞かせてほしいと思いメッセージをお願いした。

 

清水さん:つながりをつくることですよね、縦も横も。縁を広げると言いますか。人と関わっていくことですかね。黙っていて流れができるわけじゃないし。農機具に関してもそうですよね、中古出たよ、とか教えてくれるのは人です。県や市から「あなたそういう取り組みしているし、販売のお願いが来ているんですが、どうですか?」というお話が来ますし。あまり最初から選ばないで、来た話はまず聞こうと思っています。広がることがある、もちろんなくなることもありますけど。人と関わることを面倒くさがってはいけないってところだと思います。 行政、販売、農機具メーカー、肥料メーカーなど他分野の人とのつながりも面白いんです。機械の改良とかで鉄鋼業さんと知り合ったりします。その鉄鋼業さんから「どこどこの誰々がやめるからこの機具買わないか?」とかそんな話や情報が来たりするので、色々巡ってるんだなと思いますね。狭いようで他との関わりが広い世界なのかな、と。その点が農業の楽しいところの一つです。

 

▲取材中伺った圃場では黙々と作業を進めている姿が印象的だった。

 

田舎暮らしが好きな人にとって島根県、石見地方はすごくいい土地だと思うんですよね。人の流れも時間の流れも違いますし。生活の流れ自体が違いますから。それだけで魅力ある土地だと思いますよ。海あり、山あり、川あり、食べ物にも困らない。それなりにスーパーもコンビニもあるから不便することないし。 コロナ禍の影響もあまりないですかね。元々販路が広くなかったというのはありますが、1ヶ所だけ東京へ米を出しているところがあるので、そこだけ発注なくなりました。ただ全体としてはそこまで影響はないです。大麦若葉が微量ですが増えました。

 

「江津市は『山陰の創造力特区へ。』というスローガンを打ち出しています。市民それぞれにとって創造力を持ちクリエイティブに生きるってどんなことだろうという投げかけをしているとも言えます。清水さんにとってクリエイティブに生きるってどんなことでしょうか。その土地で生きて行くのが楽しいと言えるのはどんなことがありますか。

清水さん:固定観念に囚われないというのが、自分のなかにあるものかな。農業に限らず、全般的に。社会のルールだって人間が決めたこと。勝手に決めて、勝手にルールになっている。もちろん、道徳的に守らなければいけないものですが。 農業に関しても、昔からやっているからこうやらなきゃいけないとか、押し付けて来たり、固定して来る人がとても苦手です。それで上手くいっていることもあるかもしれないけど全部には当てはまらないでしょ?

地区、集落が違えば気候も土も水も違います。その土地にあったやり方があるはずで。それを考えていかないといけないと思います。だから「こうしなきゃいけない」ということを自分からは言わないようにしています。もちろん人の意見や考え方も否定したくないし、そんな意見や考え方もあるのだな、と思います。うまいことバランスとって組み合わせて考えられないかなと。そんななかで新しいやり方や考え方も出来てくると思います。僕らより下の世代には持ってほしいですね。

農業やっていて一番テンション上がる瞬間は、やっぱり収穫。よくできているなと思いながらなったものを収穫するときです。有機栽培やっていると除草が大切になるのですが。除草がうまくいって、作物がうまく育っているのを見た時もそう。(除草は)タイミングですね。うまくいって、今年は草がほとんど生えなかった田んぼがあって。それは本当に嬉しかったですよ。

 

 

 

 

GO GOTSU! special interview #15 / KEISUKE SHIMIZU