リブート! 有福! #03

女将・佐々木美弥子さん |若女将・佐々木 文さん(ありふくよしだや)
写真・文 戸田 耕一郎(GOGOTSU.JP 編集部)

【連載】女将と若女将の存在こそが『ありふくよしだや』の最大の魅力。お客さんと丁寧に向き合い、ときには人生相談を受ける女将と、大いなる母の背中を見ながら旅館を継承していく若女将。この先の二人の長い旅路はまだ始ったばかり。

 

「座して死を待つよりは、出て活路を見出さん」
島根県江津市有福温泉町。言わずと知れた、江津に古くから存在している温泉街だ。 今、有福温泉が「再起動」をかけて大きく動き出している。GOGOTSU.JP 編集部による「有福、今どうなってる?」をお届けする連載3回目。

 

 

 

『きれいで、丁寧で、この旅館はいい風が舞う』そんなお言葉をお客様にいただけて。それをお聞きするために日々やっているような気持ちになります。(女将・美弥子さん)

 

圧倒的な歴史を誇る老舗旅館『 ありふくよしだや』(以下、よしだや)は創業300年だ。創業時から加熱・加水・循環などを一切せず100%天然温泉自家源泉「かけながしの宿」として営業し続け、2022年春、リニューアルオープンした。よしだやの湯と同じくらい個性が際立っているのが、女将(写真右)と若女将(写真左)の存在だ。女将の美弥子(みやこ)さんは鳥取出身で、この町に来て40年間、この旅館を切り盛りしてきた。(今は6代目にあたるそうだが、そのさらに前の代については詳細不明とのこと)

現在は国道9号線にせよ、浜田道にせよ随分と移動がしやすくなっているが、30、40年前は現在のようなアクセス環境が整備されておらず、広島方面から一度来たお客さんは数泊が当たり前だった。また、広島で被爆された方々が「湯治(とうじ)」を目的によしだやに日帰りで来られる光景もよく見られ、湯治温泉としての存在感があった。湯治場は長期滞留することが常であり、 短期の観光客や保養客とは違って全国的に見ても山間僻地の質素な温泉地が多いとされる。娯楽施設やテレビが無いのはもちろん、スマホの電波が入らないなどの場所もある。今風に言えば「圏外生活」「情報断捨離」であり、逆説的だがそれ自体も目的にもなり得る。

よしだやは長い歴史の中で増築やリフォームを重ねながら、現在に至っている。「日常の業務は常に自分がお客さんである立場で考える」ことを大切にしていると女将さんはいう。清掃については特に入念に行い、「本当にきれいですね」と言われるくらい徹底している。お客さんである立場で考えることを意識すれば、愛情を感じるおもてなしができることも自然にできるということ。このことはいつもよしだやではたらく皆で共有している。

 


「有福の地形はね、ちょうどすり鉢のようなカタチをしています。昔から肩を寄せ合うように暮らしていました。まるで谷底のような場所ですが、はじめて来た方でも迷うことなく、散策できます。住民の方々の家もあるので和気藹々として、都会の方も新鮮でしょうし、旅館同士もほんとに仲がいいんです。これが有福の魅力ですね。ここに来ると『綺麗で、丁寧で、この旅館はいい風が舞う』と言われて、とてもいい言葉をいただいて。普段やっていることが実を結ぶというか、こういうことを言われるためにやっていたのかなということを感じますね。」(女将・美弥子さん)

 

若女将の文(あや)さんは、よしだやに戻る前は中学校の教員や警察官として働いていた。2人兄妹で、小さい頃から運動好き。将来は体育教師を目指すことを早くから決意し、体育大学(東京)に進学した。大学卒業後は見事に県内の中学校の教員に就いた。その後、転機が訪れ、警察官として警視庁に務めることになる。しかし、警察学校に入校中に父である正臣さんの体調がすぐれず、また女将であり母である美弥子さんも体調を崩してしまった。お兄さんがいるが、英国・ロンドンで暮らしているので家業を継ぐのは自分しかいないと決め、故郷と家業である旅館のことを考えた末、2018年に警察官を辞め、本格的に旅館の経営に携わるようになった。

家業を継承するには十分に若く、早朝から朝食を用意し、部屋を整え、チェックアウト対応を済ませ、夕方にはチェックインのお客さんを迎え入れ、別棟ではカフェの手伝いも行っている。一人何役もこなすほどフル回転だ。さらに温泉水を使った化粧水を販売する会社も立ち上げるなど精力的に動いている。そんな若女将に有福で暮らした幼少期の思い出を聞いた。

 

「私が小さい頃は本当に忙しくて、母も常に働いているイメージです。私が物心ついた頃は、芸妓さんはあまりいませんでしたが、団体さんは多く、平日でもお客さんが来て、(館内の)スナックでもどんちゃんやってましたし、本当にそういう毎日ですね。今思えば家族でゆっくり過ごすのはたまにあるお休みのときとか、チェックインとチェックアウトの間のほんの数時間とか、それくらいでした。どこ歩いても賑わっているという、子供の頃はそういう記憶。いろんな旅館の屋上に上がって町を見下ろして叫んだりとか、近所の子で集まって広場で缶蹴りしたりとか、ダンボールを担いでみんなで山に登って秘密基地を作ったりとか、鬼ごっこしたり、そんな思い出があります。(笑)」(若女将・文さん)

 
若女将の幼少期は時代でいうと1990年代。バブル崩壊後とはいえ、世の中の景気はまだ良く、その余韻も手伝って有福もまだまだ忙しい時期だった。最近、当時のお客さんが泊まり来た時に大人になった若女将に出会ってびっくりされることもあるそうだ。「あんなに小さかったのに若女将になったなんて。」母である女将を追いかけて館内をちょろちょろしては板さん(料理人)さんに叱られる日常。それでもお母さんのことが大好きで一緒に遊びたくて仕方なかった。

この間、小さい頃にお母さんに宛てた手紙が出てきたという。そこには「早く帰って来てね」「今度遊ぼうね」と子どもの字で書いてある。「有福は静かになったけど、今はこうやって母とゆっくりする時間が持てていますね。これはこれでいいことだとも思います。」と当時を懐かしむ。それを隣で静かに聞いている女将も目を細める。

 

 

「旅館を継ぐ、とだけは強く決めました。実際、なにをどうするのかとか、寂しくなった温泉街をどうやって立て直すのかとかそんなことは全くわからなかったし、今でも答えを見つけたわけではありません。本当に毎日一生懸命やっているだけ。でも楽しいんです。」(若女将・文さん)

 

80年代〜90年代の全盛期は毎晩遅くまでお客さんにお付き合いし、館内のスナックは大盛況。クタクタでも楽しさがある。それこそが当時の旅館としてのあり方だった。

 

館内にはスナックがある。当時はカラオケ全盛期でお客さん同士も仲良くなって、とにかく日々大賑わい。毎日毎晩夜遅くまで働く日々。「もうちょっとお願い」「あと一曲」と言われ、お客さんと過ごす夜が毎日続く。心の中では「もう、だめでしょう?」と思いながらも一緒に付き合う。お酒が入って無茶なことを言われることも日常茶飯事だったが、それも含めてどこか楽しい気持ちもあった。接客サービス業が好きな方ならきっと共感できることもあるだろう。

前号で旅館のあり方の再定義のようなことに触れたが、当時のかたちとしてはこれこそが「旅館らしい旅館」だったのだ。それでも翌朝6時から仕事が始まるので「起きてるか、寝てるかよくわからないような頃でしたね。」と女将は笑う。一方、忙しい毎日だったため「兄も、若女将も寂しい思いはさせてしまったとは思います。」と当時を振り返る。

 

 

「当時スナックを改装して、U字型のカウンターにしたんです。その前まではボックスをいくつも置いて踊れるようにしていたんですけど、改装しようと。そうしたらカウンターがうまくいって。お客さんがカウンターに入ってバーテンダーをやったり、とにかく繁盛しました。昔から『繁盛してる店っていうのは、誰がなにをやっても繁盛する』って言いますけど、こういうことかと思いましたね。そうでないところは、なにをやってもうまくいかないと。今もスナックだけ借りたいという方もいるんです。やり方を考えていますね。

 

よしだやの旅館としての再定義。まさに女将も課題として向き合っているという。これからどういうスタイルでお客さんと向き合っていくのか。素泊まり、朝食2食付き、お客さんのニーズに合わせていくことも日々考えている。一泊二食という昔ながらのやり方に限界も感じている。朝早い方は朝食抜きの方が良いのではないか、お部屋で食べるのではなく、集まってみんなで食事する方がいいのではないかといったようなことだ。サービスやコミュニケーション、なにより求められる宿泊施設の居心地の良さのあり方も変わってくる中で、女将さんも一生懸命に思考を巡らせている。

 

お湯を掘ることは難しい問題があるけれど、みんなで一緒に考えていく。行政や地元のみなさん、県外のみなさんとともに再生に向けて始まっていくことが何より嬉しい(若女将・文さん)

 

女将も振興会のメンバーに名を連ねてはいるが、実際は若女将に権限を全面的に委ね、自身は裏方に徹している。江津市内の企業だけでなく、広島の企業やそこで働く若い世代、他にも県外の企業がプロジェクトに参画していく様子を見て、「新しい『色』が加わって変化が起きていくのを見るのが本当に嬉しいし、楽しい。それがまた自分のやる気、やり甲斐にもつながる。」との気持ちがある。

昔は誰かと話したりするのに、直接会いに行くことが当たり前だった。それが携帯になり、今はモニター越しで行っている。ふと気づいたときに時代の変化を感じる瞬間がある。若女将が後を継いでくれることは大きな助けになっている。

一方で問題意識は常にある。町内に空き家があること、森林や雑木林の整備、雨どいにある枯れ葉を綺麗にしたい(つまって雨水が流れない)、川を綺麗にしたい、というような女将ならではの視点がある。 さらには有福にやってくる人が増えれば駐車場の確保についても課題になるだろう。もうひとつ、一筋縄ではいかないのが、新しくお湯を掘ることについてだ。

温泉を含む地下水は、掘削し汲み上げ過ぎてしまえば、地盤沈下のおそれがある。なので地盤に影響が出ないことをきちんと確認しなければならない。よしだやは町内の高台にあり「上の湯が止まるとすべての湯が止まってしまうこと」や「成分や泉質が変わってしまうこと」を少なからず危惧している。また、pH(溶液中の水素イオンの濃度)やとろみ具合についてなど、新しいお湯が出ることに意識を向けつつも、今出ているお湯の泉質に対しても理解していく必要があるのでは、と女将さんは問う。

ボーリング工事によってお湯が出るのはわかる。しかし、なにより怖いのはせっかく掘り当てた源泉が数年経った後に、あるいは10年後に出なくなる可能性もあることだ。また、温泉掘削後のメンテナンスコストがどれくらいかかってくるのか、温泉排水処理のこと、考えるべき問題が工事資金調達以外にも多々あるのだ。もちろん振興会の方々もすべてわかっている。自然相手なので「絶対」は約束できない分、慎重に考えざるを得ないことは頷ける。皆が前向きに考える過程の中で、どう進めていくのか。

 

 

「これから旅館は増える、お客さんも増える、お湯を使った新しいサービス(事業)をはじめたいという声が聞こえる中で、採掘の問題はもちろん向き合っていかなければいけない課題です。具体的にどうしていくかということについては、何年も続いていることですぐに答えを出すことは難しいこともあります。それでもこういう風に行政や地元の企業の方や住民の方、県外の事業者さん含めてまたやっていこうとなっていることが本当に嬉しいし、みなさんに感謝しています。

先ほど旅館の昔話はありましたが、私が旅館のこれからを考えるとするならば、ゆっくりした時間を過ごして自分や一緒にいる人に向き合う場所なのかなと思います。そこに有福のいいお湯がある。ウチの旅館であれば女将さんや仲居さんに会うとか、そこで交流してもらうようなことが価値だと思っています。」(若女将・文さん)

 

「女将冥利につきますね。これが私の人生ですね。」(女将・美弥子さん)

 

女将さんは実に個性豊かな方だ。これからのよしだやの顔は若女将と笑うが、よしだやの魅力は繰り返すが、「女将とのやりとりにある」と断言する。「お悩み相談」というと実に陳腐だが、一度話始めるとついつい話に引き込まれてしまう。その日にはじめて会うお客さんんと何気ない会話から、気がつくと悩みや相談ごと、心配ごとを話始める人がいる。言われてみれば自分のことを全く知らない人にする良さ、楽しさみたいなものはあるのかもしれない。話を聞いた女将さんからは客観的な意見や反応が返ってくる。時にストレートに。こうやって関係性ができていくと、半年後、1年後、あるいは数年後に再び女将さんに会いに来るお客さんもいる。「あのときの○○が、今こうなりました」という報告をしてくれるお客さんと再会することもしばしばある。これは接客業冥利、いや旅館業冥利に尽きるのではないだろうか。この連載で繰り返し連呼している「旅館の再定義」だが、これも旅館ならではの価値だ。

 

「寂しそうにされている方がいましてね。お話をお聞きすると、ちょっとお見合いでお悩みがある方でしてね、『相手の方は待ってますよ、あなたの電話を』と言ってポンっと背中を押してあげました。その後、その方と結婚されて、あるときご主人を連れて泊まりに来てくださったんです。とても素敵な方でした。そういうときに私はなんとなくわかるんです。おひとりで来る方でも、ご夫婦で来られる方でもよしだやに来る方というのはなんとなくなにかをお持ちだなと、私も感じることがあるんです。いろんなエピソードがあって女将冥利につきますね。これが私の人生ですね。」(女将・美弥子さん)

 

若女将曰く「そのお客さんとたった1日しか会っていないのに、その人の人生を客観的に表現したり、話題に対して共感に持っていくのがほんとうに上手。」だからこそよしだやのリピートに繋がるし、それがよしだやの強みであることも若女将はよくわかっている。そしてそれが上手く発信できないジレンマも。「うまく言えないんですけど、来た人だけがわかる、みたいな。」と言って笑う。

誰彼構わず話すことはもちろんしないし、一方的に話すわけでもなく、こちらの話にもしっかり耳を傾けてくれる。お湯、お食事、お部屋、そこで流れる時間を愉しむことに加えて、「よしだやの女将に会いにいく」ということはきっと付加価値の高いものだろう。その空間を求めている人も少なくないように思う。利便性や価格帯、効率だけ考えれば大浴場のあるビジネスホテルあたりにニーズはあるかもしれないが、そこでは得られない「自分の時間」を考えたとき、よしだやの持つホスピタリティは大きなアドバンテージになると感じるし、実際そうなっている。

 

 

女将という仕事は言うまでもなくサラリーマンではないし、タイムカードを押して誰かに管理される仕事ではない。さらに言えば仕事とプライベートが明確に分かれる仕事でもない。働き方改革やワークライフバランスという言葉があるように、一般的には仕事とプライベートの線を引きたくなる人もいるだろう。

女将という仕事は「今から仕事だ」とスイッチが入ることもなければ切り替えを意識することもない。すべてが自分のライフスタイルであり、それこそが自分の生き方なのである。女将に聞くと「まったくその通り」と答えが返ってきた。どんなに大変なことがあってもこれが自分の人生と思えている強さ。だからブレることはない。ただその代わり、自分の癒しや身体を整える時間を大切にしているという。サービス接客業は言い換えれば他人にエネルギーを供給する役割のある仕事だ。ということは自身のエネルギーもどこかでチャージしなければバランスが保たれないはずである。

 

「人間って自分の身体とココロを癒すのには、海の中に入るのがいいと思っているんですよ。ここよりちょっと遠く離れたところに行って自分にご褒美をあげることが、よしだやにとっていいことだと思っていてね。無心になって、ゆっくりしてお酒を飲んで。今ね、沖縄の石垣島に行く計画を立てているんです。潜水スクーターって言うんですか?あれを絶対やってみたいんです。そうやってスッキリすると他人に優しくなれるじゃない?」(女将・美弥子さん)

 

 

母からたくさんのものをもらった分、今度は私が母の隙間を埋めていきたい。この先女将と一緒に旅をするのが人生の楽しみ(若女将・文さん)

 

若女将にこれからの展望やライフプランを伺った。目の前にある旅館経営を一生懸命やることはもちろんだが、若女将の口から出た言葉は「母と自分のこれからの関係」だった。これまでの自分の人生を振り返ったとき、常にそこにいたのは母であり、家業を営む女将の存在だった。その背中が本当に大きかったとはっきりと語る。今では女将の苦労もよくわかる。

「母からたくさんのものをもらった分、今度は母の中には隙間ができる。そこを今度は私が埋めたいんです。旅館経営と一緒にして、沖縄でもどこでも一緒に旅をする。そうやって親子でチャージしていきたいんです。人生100年。母はまだ30年以上あります。そこが私の人生の今の楽しみ。」

「若女将はきっとこれから大変なことにも向き合うと思う。それでもきっと飛躍していくでしょうね。」

それぞれを信じ合えること。こんなお二方がいる温泉旅館が心地良くないはずがない。旅館業はどこまで行っても人と人が交わる空間だ。泊まる目的はお湯だけではないし、食事だけではないのだ。有福の町に新しく作られる建物とともに、40年間、全く変わることなくよしだやにあるこのマインドこそが有福再生に欠かすことのできない魅力に他ならない。

 

 

(#03 完)