リブート! 有福! #05

伊藤 康則さん(有福温泉神楽団・団長)
写真・文 戸田 耕一郎(GOGOTSU.JP 編集部)

【連載】新しいことがはじまると賛否両論がある。それでもいいきっかけだと捉えて自分の役割を見つけ取り組んでいく。温泉を再生させるように神楽の再生に邁進する有福温泉神楽団団長「どうせやるなら楽しくやりたい。」

 

「座して死を待つよりは、出て活路を見出さん」
島根県江津市有福温泉町。言わずと知れた、江津に古くから存在している温泉街だ。 今、有福温泉が「再起動」をかけて大きく動き出している。GOGOTSU.JP 編集部による「有福、今どうなってる?」をお届けする連載5回目。

 

 

 

温泉でゆっくり心身を癒し、美味しいものを食べて、そして神楽を観て、気持ちよく帰っていただきたい。

 

有福温泉神楽団の結成は昭和42年。その当時、有福にある旅館は10軒以上で毎晩のように町全体が大繁盛だった。「有福にも石見神楽を」という声を受け、有福温泉神楽団は結成された。

今回お話を伺ったのは団長の伊藤康則(いとう・やすのり)さん。神楽団結成当時、伊藤さんはまだ9歳。18歳になって入団した。当時は観光神楽団という名前で活動していたという。衣装や道具も揃っていなかったので他の団体や社中から借りながら始まった。お客さんからお酒をいただいて、土日を中心に神楽を舞う。繁忙期は旅館をはしごして、一晩で3回公演、大盛況だ。

1983年(昭和58年)7月23日、石見地方全域を豪雨が襲った。河川は氾濫し、いくつもの場所で土砂崩れが発生し、家屋は飲み込まれ、石見地方で107名の命が奪われた。時間をかけて復興するも風評被害も受け、有福を訪れる客足は少なくなった。「なんとか神楽で温泉街を盛り上げよう」と当時の落合商店(現ビアンコ)の2階で定期公演を行った。その後時は流れ、復興の兆しが見えた頃、再び有福に住む人たちにとって忘れられない事故が起きた。2010年8月に起きた火災だ。この火災で、旅館3棟と民家1棟が全焼した。(死者が出なかったのは不幸中の幸いだった)

長い歴史の中で水害や火災を経験し、2020年(令和2年)には新型コロナウィルスのパンデミック。神楽団運営にとっても苦しい時期があり、しかし、神楽を舞うことで幾度の局面を乗り越えてきた。

 

 

石見神楽とは日本神話を題材に、哀愁あふれる笛の音と人間の鼓動に即したようなお囃子と太鼓に合わせて、豪華絢爛な衣裳と表情豊かな面を身につける舞う(踊るとはいわない)この土地に古くから伝わる伝統芸能である。「演目」と呼ばれ、様々な歴史や神話、神様をお迎えする「儀式舞」、日本書紀を題材にした「能舞」などその種は30種類にものぼる。鯛を釣る「恵比寿様」や悪者を象徴する「大蛇(おろち)」が火や煙を吹くわかりやすい演出も人気の秘密で2019年5月には日本遺産にも登録された。

 

「この湯の町神楽殿はね、何度か作り直しているんですが、100名ほど入ったことがあります。今のこの3代目の神楽殿は30名定員ですが、50名入ったこともあります。温泉に入って、美味しいものを召し上がってから思い出に神楽を観ていただくということで今もこれからもやっていきます。この再生プロジェクトにも応えるために我々も神楽を舞っていきます。」

 

昭和の華やかな頃の思い出は強い。そして観光客の変化や、コロナ禍を経た観光産業の移り変わりを感じることは多々ある。昔は「宴会のための、場を賑やかすための神楽」だったのに対し、今は人数制限もあるが、「舞を鑑賞するための神楽」に変化してきた。当然舞っている側の意識も変わる。そして舞を見るために県内県外から多くのお客さんが訪れる。

伊藤さんから見る有福の魅力は「温泉が宝物であり、温泉でゆっくり心身を癒し、美味しいものを食べて、そして神楽を観て気持ちよく帰っていただきたい。今までもこれからもここは変わらないですね。」と語る。

「それとね、朝7時から夜10時まで温泉は開いているのがいいんです。そこからお湯を抜いて、そして朝にはまた温泉が入り、常に源泉掛け流しの湯がたっぷり溢れているのが、なによりの有福温泉の魅力なんです。無色透明な朝の温泉にとにかく入っていただきたい。」と強調する。温泉街の夜を象徴するスポットもきっとあったはずだ。

 

「昭和30年後半から40年代くらいはね、この町にも数軒桶屋があったんですよ。夕方になるとね、芸妓さんの三味線と太鼓の音なんかがしてね、仕事前のね。奥にはストリップ劇場もあって、子どもの頃は障子の隙間から見たことのない景色を見たりしてね。非常に賑やかな町で、今じゃ想像つかないですよ(笑)。」

 

 

温泉も再生させなければいけないのと同様、神楽団も継承し存続させていかなければいけない。子ども神楽を育成してコミュニケーションを図り、できることをやっていく。

 

かつては1、2ヶ月以上滞在し、湯治のためにこの温泉に来る人が一定数いた。湯治という温泉文化が根付いていたこともあったが、いずれにしても有福温泉の存在意義があった。それが時代の流れとともに、存在価値が弱まってしまい、代替する次の価値が提示できなかったことにその要因があったのではないか、というのが伊藤さんの見解だ。さらに言えば温泉の施設自体をどうにかアップデートしたいと考えているし、一番は「神楽殿を30名よりもうちょっと人が入場できるサイズにしたい」という要望もあることを言葉を選びながらも語る。多くの団員を率いる団長としての思いもあるはずで、今後の課題にもなっていくだろう。

石見神楽を運営する社中は島根西部すべて入れるとかなりの数にのぼる。有志の集まりで、言うまでもないが普段はみな本業の仕事をしている。彼らはなぜ舞い続けるのか。伊藤さんにモチベーション、神楽団を運営することのやり甲斐、問題意識などについてもお聞きした。

 

「モチベーションね、まず、あの衣装を着たい、音が(身体に)染みている、幕を切ったときに人に観てもらえる喜び、それですかね。」
「子ども神楽団というのも並行してやっていましてね、メンバーは小学校未満から高校生までの世代で育成しながらやっています。そういうコミュニケーションをしながら2世、3世と繋いでいきながら、この少子高齢化ではありつつも、なんとか続けられるようにやっています。女の子でも男の子でも、この湯の町神楽殿でやりたいならどんどん歓迎して次世代の育成を行っています。」

 

お囃子が身体に染み込んでいる。笛の音が頭の中で鳴っている。そしてこの煌びやかな衣装を着続けること。この魅力に取り憑かれているからこそ神楽を舞うのだ。

今でも年に一度、奉納神楽が行われる。奉納神楽とは一年間の無事と収穫への感謝を氏神様に捧げるために奉納される神楽のことである。石見地方では秋にかけて行われている。夜通しで行われる神楽は「夜神楽」と呼ばれ、観賞しともに過ごす人たちは毛布持参で参加する。

そこでは『御花(ご祝儀)』、地元の言葉でいうと「花を打つ」という習慣が長いことこの土地にはあった。全盛期は一晩舞えば数十万円のご祝儀が集まったというが、その習慣は時代とともに段々と薄まっていった。地元公演では、いわゆる出演料はないので(とらないので)すべて花代で賄う必要があった。(※編集注:厳密には社中によってやり方はそれぞれである)その花代が薄くなってくるということは、さすがの地元でも「神楽から人が離れているのかもしれない」という危機感が募る。石見神楽は大衆芸能として島根西部を代表するエンターテインメント産業だが、高齢化や後継者、運営に必要な経費の捻出など課題もある。そのためには伝統を受け継ぎ、次世代を育てなければいけない。

それは有福だけではなく、大田も浜田も益田も同じ課題を抱えているかも知れない。それでも有福再生と同じように神楽再生の必要を感じ、皆が一丸となってそれぞれの役割の中で踏ん張っている。「人間関係のご縁を感じ、せっかくやるなら楽しくやろう」と伊藤さんは周囲に呼びかけながら神楽団を運営している。仕事の関係で県外に出てしまい、神楽ができないという団員もいるが、「仕事でも県外に出る経験は大事。出ればいい。出て経験できることはたくさんある。そして、もし戻って来たらまた神楽を舞えばいいし、外で得た経験を町に活かしてくれればこんなにいいことはない」と大きな器で周囲と接しているのだ。

 

 

観光客のために場所を作るだけではなく、この土地の風土や歴史を楽しめる地元の人たちが味わい、体験しに来たいと思える場所を作れるかどうか。

 

「やることに対して賛否両論なところもあってね、封鎖的に考える人はもちろんいますけどね。でもやっぱり今またいいきっかけでね、私は賛同してます。この神楽殿の復興も今後はもっと考えていきたいし、補助があるのかわかりませんけどね、どうにか我々神楽団にも目を向けてほしいですよ!(笑)」

 

と大きな声で笑う伊藤さん。自身の役割はやはり神楽を舞い続けることであり、観に来る人に神楽と有福の魅力を語り続けていくことだ。誰の話を聞いても思うのが、有福温泉の再生を自分ごととして関わっている人はみなプロジェクトに前向きだ。そして未来に対して明るい。結果はすぐ出ることではないだろうし、時には悲観することもあるだろう。それでもどうにかして前を向いていくこと、それしかないのだ。間違っても評論家を気取り、誰かが進んでやっていることにあれこれ言う人間にだけはなってはいけない。

有福温泉再生プロジェクトはいつ、誰に対してもオープンだ。聞けば必ず誰かが答えてくれるし、誰かの協力や関わりを拒むこともきっとない。あなたがどんなに小さなことでも、何かできることがあれば、それはきっと有福の誰かの役に立つ。江津市民として、石見に住む人として、そして今は縁もゆかりもないけれども、この小さな温泉街の復興プロジェクトに興味があるまだ見ぬ人がいつか関わってくれる日をこの町の人たちは待っている。

 

 

(#05 完)