リブート! 有福! #02

伊田光雄さん(有福温泉振興会 副会長 / 三階旅館・館主)
写真・文 戸田 耕一郎(GOGOTSU.JP 編集部)

【連載】様々なニーズに合わせた宿泊スタイルが存在するのが今の時代。それでも“昔ながらの日本旅館”のスタイルでやる決意とは。
そして事業をする側と住民側の橋渡し。それがこの町で生まれ育った私の役割。

 

「座して死を待つよりは、出て活路を見出さん」
島根県江津市有福温泉町。言わずと知れた、江津に古くから存在している温泉街だ。 今、有福温泉が「再起動」をかけて大きく動き出している。GOGOTSU.JP 編集部による「有福、今どうなってる?」をお届けする連載2回目。

 

 

 

団体旅行から個人旅行の時代へ。有福温泉が衰退してしまった原因は、ここにシフトできなかったからという印象がある

 

三階旅館を経営するのは「伊田」の姓で3代目、伊田光雄さん。三階旅館の特徴として、旅館の料理人は常に旅館の主人がつとめてきたことだ。有福生まれ有福育ちの伊田さんは高校を卒業して県外へ出るも20歳で有福に戻り、それ以降40年近く経営者として、また料理人として三階旅館を守ってきた。「家の主人が料理をつくる」との伝統を受け継ぎ、少々単価が高くてもお客さんに喜んでもらえるのならば、という志でこれまで自由にやってきた。旅館の運営はご夫婦のみで行っている。

伊田さんが旅館を継いだのは1980年代初頭。世の中の景気も今とは明らかに違う。当時はインターネットもなければ携帯もない時代。中心となる情報ソースはマスメディアのみだ。当時は旅行会社を通じたパック旅行スタイルが主流だったが、会社単位で(旅行会社を通さず)有福温泉に来てくれる団体客も多かった。

 


「当時は『団体客』が多かったですね。週末だけでなく、平日もたくさんの観光客が有福に来ていました。そんな時代からいつのまにか団体のお客様というのがいなくなっていき、次第に個人のお客様にシフトしていったというような状況になっていきました。」
「有福温泉自体が衰退というか、こういう状況になってしまったのは、個人のお客様への対応というものにシフトできなかった。個人のお客様がどういう風にしたら喜んでいただけるのか、どういうサービスや内容が良いのか、そのあたりの対応がシフトできなかったという印象があります。

 

当時の有福温泉は10軒以上の旅館があった。商店もあった。町内は観光に携わっている人も多く、春祭りのような行事もあって華やかだった。団体旅行の客数が減少するのと並行して商店も減り、個人の負担が増えていくことから行事を続けることも容易でなくなってきた・伊田さんが幼少期の頃は有福に来る芸者も毎晩50-60人はいたという。夏の盆踊りでは輪が二重になるほどたくさんの人が参加し、3日間、夜の2時まで祭りは続いたという。今ではとても想像できないほどの賑わいがあった。

昭和の温泉街を象徴する存在といえば芸者さんだろう。芸妓(げいこ)さんとも呼ばれ、日本全国の温泉街には今も尚残っている温泉文化である。「一芸をもって宴会に花を添える」ことが役割で、まさに夜の宴を盛り上げるプロフェッショナルたち。華やかな衣装でやって来ては、笑顔でお客さんをもてなし、三味線、日本舞踊、歌舞音曲、お遊びと呼ばれるいわゆる「お座敷遊び」でみなを楽しませて稼ぐ「粋」な仕事だった。

コンプライアンスといった倫理観や価値観も現代ほど神経質ではなかった。夜中までどんちゃん騒ぎがどこか許されたような時代。町全体が一帯となってやっているので誰かが文句も言うような(乱すような)ことはなく、深夜1時2時まで下駄の音が聴こえること自体が「当たり前」だった。

ご存じのとおり、インターネットSNS時代は個人の発言が可視化され、アーカイブされ、少々過激な発言をすれば非難を浴びることが日常的ですらある。不買運動のようなキャンセルカルチャーや、ジェンダーハラスメントが周知され、昨日までの常識が非常識となっていく。社会的な価値観の変化のスピードが早く、なにをするにもコンプライアンスが先行し、アクションしにくいことも実際多い。昔は良かったなどという話では決してないが、世の中の景気(=元気)が良かったことが社会全体に大いなるエネルギーをもたらしていたことは間違いない。

 

 

「SNSでネガティブなことを一言ツィートされてしまうだけで、影響があるのでちょっと怖いところがあります。予約サイトもまるで通知表のようです。ちょっとでも気に入らないことがあるとガクッと評価を落とされたりしてしまいますよね。お客様自体というより『通知表』のことを気にしてしまう。実はうちは今、大々的に予約サイトを活用していないんです。」
「極端なこと言うとですね、昔は、要は『騒げればいい』ということだったんですよね。(苦笑)食事がどうとか、部屋の広さがどうとかそんなことを言うお客さんなんていないんですよ。お酒を飲んで、芸者さんと遊んで、どんちゃん騒ぎして帰れればそれで良かったんですよ。

 

「旅館とは一体なにか」ということを再定義していく必要性はあるか?

 

今は個人の時代だ。スマホを駆使すれば十分な情報をキャッチできるし、わざわざ仲介手数料を払って旅行会社に企画してもらう必要はないかもしれない。Airbnb(エアービーアンドビー:世界最大手の民泊仲介ウェブサイト)のように家主と旅行者をダイレクトにつなぐサービスが多数出現し、常に既存のビジネスモデルを破壊するディスラプター(主にベンチャー企業)たちが存在するネット主体の時代であり、それまであった観光宿泊ビジネス産業は時代の変化への対応を余儀なくされている。

食のアレルギーがある人でもペット同伴や個室風呂、サウナ必須でもなんでも、単純にフィルタリングをかけて調べるだけだ。一方、宿泊を提供する側はお客を獲得するために否が応でもきめ細やかなサービスを求められるので、生き残るために時代のニーズに取り残されてはいけないとあの手この手で対応する。あるいは先手で新しいサービスを提供する。

個性的なゲストハウスは星の数ほどあるし、ビジネスホテルは驚くほど安く、サービスは充実している。コロナ禍はさておき、インバウンド観光をはじめとして、政府は観光産業を活性化させる施策を展開した結果、全国に続々と宿泊施設がオープンし、この産業に陰りは当分見えない。 山陰地方、島根西部の小さな温泉街が生き残るためには一体どうしたらいいのか。価格競争だけに解を求めることはできないが、改めて「旅館とはなにか?」ということを再定義していく必要があるのではないだろか。旅館に泊まる良さ、他業態との差別化、旅館の楽しさとは一体なんだろうか。

 

 

「宿泊施設ということでいうと今はいろんなスタイルがありますよね。うちっていうのはもう、昔ながらの日本旅館でして、たとえばうちが素泊まり旅館みたいなことをやってしまうと、後継者問題は別にしても今後やっていけなくなってしまうんですね。お客さん側が安く泊まりたいとか、素泊まりがいい、個室シャワーが欲しい、といったニーズに対応できる宿泊サービスがあること自体はよいことだと思っています。インバウンドで外国人の方が求めるサービスもあるでしょうし。うちはうちのやり方でやるしかないと思ってやっています。ただ、静けさを好むお客さまというのもいらっしゃいますのでね、今の有福の夜の静けさを残しつつ、時代に合わせたやり方をプロジェクト全体で考えていく必要性があると思います。」

 

町を存続させるためには、宿の開発とともに住民を増やし、町で働ける環境をつくることもしなければいけない

 
ここ数年の江津市の動きもあり、現実的に予算が組まれ、工事日程が決まり、再開発に向けて進んでいくことになるが、有福温泉振興会の副会長でもある伊田さんは自社事業という「当事者」でもあり、有福全体をまとめていく責任者でもある。「町全体をひとつの宿泊施設として再生する」というコンセプトで現在進んでいるが、約10年前もこの考えで取り組んだことがあったという。

その当時は体力に余裕がある旅館も多くはなく、些細な問題でも対処できないことも多かった。今回の再生プロジェクトは県外(主に広島)の企業も多く参画していることもあり、意見交換やアイデアを聞いているうちに新鮮に感じることが多々あった。「自分たちはなかなかそこまで見えてなかった、という風に気付かされることがあります。こういう実績のある方々と一緒に取り組めばうまくいくんじゃないかと思うようになりましたね。」と伊田さんは言う。

旅館をどうこうする、食環境をどうこうするということはもちろん重要だが、先の未来を考えたときにそれに加えて「この地域に人を増やす(住民を増やす)」ということも達成しなければいけないミッションだ。町を存続させるためには、新陳代謝を起こす必要がある。この町に住んでもらい、この町で働く人をつくること。事業承継は「そうなる前に」早く準備していかなければならない。

 

 

さらには「新たな温泉の開発」も視野に入れていく必要があると伊田さんは言う。有福温泉は伊田さんの言葉そのままに「ここはどこを掘ってもお湯は出る」。ただし、掘るにしてもそれなりの資金が必要であり、県の条例に基づいた手順で進めなければいけないことがあるため、これまで二の足を踏み、実現には至っていない。

湯量に関しては外湯3つは足りているが、お湯で遊ぶ場所(足湯やペットが入れる湯など)まで考えると今の湯量ではとてもじゃないが不可能だ。これをやるならば、やはり新たな泉源が必要になってくる。これも三階旅館の先代の頃からの課題だった。新しいアイデアというよりは長きに渡って向き合ってきた課題に対して、できるかできないかはもちろん、やるかやらないかの意思決定にかかってくる。その決断にこのプロジェクトの成功への鍵があるようにも思える。

このところの有福温泉振興会の動きとしては目下「町全体がまるごと宿泊施設」についての仕組みづくりの議論に取り組んでいるのと、宿泊施設だけの部会と年間のイベント部会の2つに分かれて進んでいく。  これまで有福を再生させる取り組みは一度や二度ではなかった。その度にその経過を住民の人たちも見ているし、知っている。特に有福温泉町の住民の方(今は高齢者が多い)は当時から有福の観光に関わっていた方が多いこともあり、当たり前だが事情もよくわかっている。もちろん「またやっても、、」という声もある。それでもやっぱり賑やかなことが好きな人たちがたくさんおられ「その方たちにまた賑やかな有福温泉を見せてあげたいという気持ちはあります」と伊田さんは前を向く。

 

 

「(振興会としての)私の役割というのは、広島と江津市内の企業さんが参加されていることもあり、住民の方との隔たりがあっては困るので、この町で生まれ育って、仕事をさせてもらってる私が橋渡し役というか、仲介役としてお役に立てればと思っています。 振興会会長の川中さんはみんなを引っ張っていく方、事務局の方は元銀行員さんで楽しくおしゃべりできる方、基本的には皆さんビジネスマンとしてきちんと収支計画を立ててやっておられますね。新しく有福で事業をされる方々が昔からいるようになっていただけるとありがたいなと思います。」

 

有福にある旅館は3つだったが、2022年に複数の宿泊施設がオープンした。そして今後もまだ新しくオープンする計画もある。「競合が増える」というシビアな一面と「有福全体で見れば『面』が強化されるメリット」という2つの面があるだろう。「事業者としての伊田さん」と「有福全体の進歩を考えていく伊田さん」がいる。

ただ、伊田さん曰く、「新しい宿泊施設ができても有福全体の部屋数はいわゆる一般的な温泉街にあるホテルより少ない」という。新規オープンを含め、町内すべて合わせても100室以下だ。そう考えると町全体で部屋を埋めるというのはそんなに難しくないと伊田さんは考える。大事なのは自分のところで全て受けるのではなく、たとえば宿泊の問い合わせがあったとき、条件やニーズによっては他の旅館を紹介してあげたり、満室になったら別の旅館を紹介するといった、協力体制をつくることが大切だと振興会では考えている。これが「まるごと温泉街」のコンセプトであり、共存できる仕組みづくりだ。

さらに伊田さんが三階旅館のことで考えていることは「後継者」のことだ。有福をまたゼロから再生させていくことへの覚悟は決めた。一方、この先も旅館を続けていくことを考えると、後継者問題にも向き合わなければならない。この問題は三階旅館だけではないだろう。

中小企業基盤整備機構が実施した「2017年3月 中小旅館業の経営実態調査」によると、ホテル・旅館業界の回答者の50.6%が「後継者は決まっていない」と回答している。伊田さんのこだわりはやはり料理人(板場)を守ることも含まれているため、人材発掘はたやすいことではない。景気がよい時期を知っていて、大変な時期も経験している。「やめることは簡単。だけど、やらなければしょうがないという気持ちでやってきたから、それはこれからも変わらない」と言って最後に表情を引き締める伊田さん。本当に有福温泉再生計画は始まったばかりなのだ。

 

 

 

 

 

(#02 完)