KOJI TAKEGUCHI
都野津街並みの会事務局長
島根職業能力開発短期大学校 准教授(ポリテクカレッジ島根)
転勤を機に移住して、同じような世代の人たちと交流が始まっていく中で、「江津駅前の商店会でこんなイベントやるよ」なんて話がよくありました。せっかくなんで、うちの学生と一緒に何かやりたいなと思って。まだ、ほとんど授業もやっておらず、どういう生徒がいるのかも分からないんですけどね。今になって思うと、めちゃくちゃタイミングが良かったなと思っています。2013年とか14年くらいの話です。面白かったですね。
GO GOTSU special interview #19
江津市二宮町にある島根職業能力開発短期大学校、『ポリテクカレッジ島根』(以下、ポリテク)は工科系短期大学校として知識や技能・技術を習得することを目的とした専門性の高い学校だ。県内だけでなく県外からも学生がやってくる。竹口浩司准教授(以下、竹口先生)は「学校以外は何もない町で、やることがない」と嘆く学生に、実践を通じて「やりたいことができる町」を感じとってもらうため、そして何より自分自身がそれを面白がってやることに意義を持ち、これまで長きにわたって積極的に地域活動に学生を引き連れ、汗を流してきた。
一言で「まちづくり」「地域活性」といってもその内容は多岐に渡り、活動する人によっても様々だ。竹口先生いわく、ポリテクの強みはものづくりや建築に関する専門技術にある。一体どんな活動をしているのか、また、なぜやるのか。早速話を伺っていこう。
江津駅前の活性化プロジェクトには様々なものがありました。みんな同じぐらいの年齢ということもあって、今になって思うと、めちゃくちゃタイミングよかったなと思っています。2013年とか14年くらいの話です。
▲江津の西部に位置する町、都野津。石州瓦が印象的だ。
竹口先生は江津に住んで長くなってきていると思いますが、Iターンということですよね。江津に移住されるまでの経緯を聞かせてください。
竹口さん:出身は大阪府藤井寺市です。神奈川県の大学に進学して家具を専攻していました。昔からものづくりや建築といった工科系に興味があり、その分野で仕事をしていきたいと思っていて、職業訓練センターに就職したんです。転勤のある仕事で、熊本で7年、山口で4年勤めていました。その後は、ここ江津にあるポリテクカレッジ島根(正式名称:島根職業能力開発短期大学校)に転勤しました。
2013年頃なのでもう10年以上経ちましたね。島根に(転勤に)なるとは思いもしませんでしたけどね。だからIターン者ということになります。どんな町かも全く知りませんでした。江津のことを調べていく中で「52 Bar(ごうつバー)」というバーテンダーを交代制でやるバーを見つけました。そこは、DIYで作られていて、コミュニティを生み、まちのハブになることを目的としたバーだと知りました。
とりあえず江津に行ったら、まずそこに行こうと思っていましたね。赴任した4月早々、家族を連れて来る前に、まず私1人が(当時の勤務地だった)山口から江津に来ました。それで早速バーに行ってみたんです。そこにいたのが、今まちづくりや起業して活躍している面々 -Go-Conやこのウェブサイトで取り上げられているような方々- でした。
すぐに溶け込んでいったんですね。転勤先の移住したまちでありつつも、そこのコミュニティにも積極的に入っていくという。
竹口さん:そうですね。同じような世代の人たちと交流が始まっていく中で、今度、「江津駅前の商店会でこんなイベントやるよ」なんて話がよくありました。せっかくなんで、うちの学生と一緒に何かやりたいなと思って。まだ、ほとんど授業もやっておらずどういう生徒がいるのかも分からないんですけどね。
最初は7月にあった夜市イベントでした。竹灯籠を学生たちと作って参加したんです。それと同時に、うちの学校の前任者が江津の商店街で一度リノベーションプロジェクトをしていたんですよ。ビルの2階にある学習塾をリノベーションしたんです。それからも商店会とは、ゆるい繋がりがあって、今年も何かできないかっていう話もしました。そこで出たのが銭湯プロジェクトでした。江津駅前商店街にある旧銭湯をリノベーションして、何かイベント化して賑わいを作ろうという企画がありました。「一時的でもいいから銭湯を復活させたいよね」っていう話で盛り上がったんです。
商店会のイベントに参加して以降、商店街のコミュニティスペースで一緒に何かを作るようなことをやり始めていましたね。人との繋がりも、なんだか本当に早かったんですよ。デザイン会社の株式会社D52の佐々木さんとか、ガソリンスタンドで働いていた方とか、美容師の方とかですね。商店会の青年部みたいなのが出来ていて、しかもみんな同じぐらいの年齢でということもあって、今になって思うと、めちゃくちゃタイミングが良かったなと思っています。2013年とか14年くらいの話です。面白かったですね。
▲写真左:銭湯プロジェクトチームの面々。写真右:竹口さんが移住当初行った「52 Bar」(写真提供:竹口さん)
リノベーション、つまり解体や建築作業全般をやるにあたって、課外実践授業として学生たちを学校の外に連れていくわけですよね。学校側は、そういうことをやっても問題ないのでしょうか。
竹口さん:特に何かを言われることもなく、ほぼ自由というかOKでしたね。周りから安全に取り組んでいると見られることや、特別あそこだけ贔屓にしているという感じにならなければいいだろうと思っていました。当時、学生の定員がずっと満たない状態だったこともあって、新しいことに挑戦させてもらえる環境があったんですよ。ポジティブな授業の環境があることはいいことだと思っています。
また、課外実践授業を通して学生が地域に出て、ポリテクの名前を売るっていう狙いも確かにありました。他にも、学生が江津に来ても、「遊び場なくね?」っていうのもありました。だったら外で様々なイベントに参加して、ちょっとでも面白くなる学校生活を送ってもらえばいいなという思いもありました。当時、江津市で活発に動いている方々がそんな私を受け入れてくれましたし、イベントにもとても入りやすかったんです。まちの人たちにウェルカム感がありましたね。
当時は地方創生に追い風もありました。Uターン者にとっては「地元に帰ってまちを盛り上げよう」みたいなことや、Iターン者が地方に行って好きに生きる、小商いをするみたいな大きなムーブメントがあった時期ですよね。全国的にそういう雰囲気があったように思い返します。
竹口さん:UIターン者に「何かやろう」みたいな機運がすごくあったっていうのは事実ですよね。SUKIMONO株式会社の平下さん(同社社長)も帰ってきて、2年目ぐらいだったかな。江津に初めてゲストハウスをつくった方とかいろんな人が帰ってきて、商店会の青年部もできて、駅前の夜市も復活して、地域を盛り上げようっていうタイミングだったんです。私は52 Barを通じてその波に一緒に乗った、そんな感じですね。
今の江津とはちょっと何か違う、昔は(そこにいた若者たちは)本当にただ勢いでやりたいことを猛進していたのだろう。朧(おぼろ)げに見えている成功の青写真があって、そこに向かってあまり深く考えずに、しかしながら行政とも連携しながら、皆で同じものを共有し、同じ方向を見ていたのだ。当時、地域の活性化を伝える全国メディアに「江津市」が特集されたのがこの時期だった。
竹口さん:学生たちと江津駅前ビルにチャレンジショップを作りました。また、地域の昔ながらの知恵を使うことをテーマにして活動している樹冠(じゅかん)ネットワークさんと知り合って、浜田市金城町追原で竹林整備を兼ねて竹で座禅堂を製作しました。他にも、「学生グランプリ銀茶会の茶席」という、「茶室・お茶席」をテーマに毎年全国の学生が、畳2畳分の茶席の設計・制作案を作るというコンペがあり、そこで金賞を取れば、東京・銀座で展示できるというものです。
ポリテクの良いところは、建築設計もある程度できるし、モノを作らせたら全国の学校にも負けないところです。ちょうどやる気のある学生がいたこともあって、2016年にそのコンペに出場しました。設計はもちろんなんですけども、1/1スケール(実物大)のものを実際に作って審査されます。学生たちの頑張りがあって金賞を獲ることができ、銀座で展示することができました。ポリテクの活動が少しだけ全国的に名の知れたものになった時があったんです。それからパレットごうつで展示して地域住民向けにお茶会を催しました。
地域活動を通して学校・学生と一緒に取り組むという流れが徐々に出来てきました。そうすると様々な方面から声が掛かるようになりました。例えば、音楽団体用の譜面台を作るとかですね。それがインテリア学会で優秀賞に選ばれたりもしました。学校で取り組めるものは学校の課題として取り組み、他の先生に協力してもらいながら地域活動への流れが出来つつあったのかなと思います。
▲見事に金賞を受賞した学生たちの手による作品。パレットごうつに展示された。(写真提供:竹口さん)
江津市外の活動も含めて様々な機会があったんですね。それが評価を受けることに繋がった。仕事先への影響というのは例えばどんなことがあったのでしょうか。
竹口さん:私の仕事でいうと、これまでの地域活動の事例報告を記した学術的な論文も出していますし、学会で発表もしています。ここ(リノベーションによって都野津に新しくできたカフェ『よしゑやし』)のリノベーションはもちろん、2015年に古民家ベジカフェ『蔵庭』(松川町)で行なった10日間の「リノベーションキャンプ」などについても、一通りまとめてポリテク関係の学会に論文を提出しています。学校からも評価をいただいているんですよ。
参考)ネット上に公開されている竹口先生の地域活動についての論文をこちらから閲覧していただくことができます。
竹口先生にとって地域活動は、もうひとつの仕事といってもいいくらいの成果、活躍だ。当然ながらオファーは増える。竹口先生はどのようなバランス感覚でこなしているのだろうか。ここまでは学校・教員としての仕事、ここから先はプライベートレベル、というような線引きも必要になってくるはずだ。「学校の授業で」というものなら引き受けるが、そうでないことはさすがに引き受けられない。
学校の授業の一環としてやる場合は、費用が用意される。一方で、個人レベルのことであれば学校を交えるわけにはいかない。瓦を直してほしいとか、フローリングを直してほしいなんて個人の小さなオーダーを受けることはできないわけだ。だが、「学生の実践・実習」となれば依頼する側からすると費用が掛からない。むしろ用意してくれることさえある。それゆえに忙しくなっていく。どこにやり甲斐を感じているのだろうか。
竹口さん:やっぱり都野津ですね。都野津が好きで家も建てましたし。都野津の方から、「この町の風景を残したい」という話があって、街並み協定を作りたいから協力して欲しいというお誘いがありました。それなら「街並み協定を作るだけじゃなくて、空き家・古民家もうまく使っていきたいよね」というところから、都野津街並みの会(以下、街並みの会)が立ち上がりました。
その後、島根県立江津高等学校(以下、江津高校)から街で何かをやりたいという提案を受け、そこから街のイベントが始まり、企画や運営をしていきました。そうこうしているうちに、都野津町の空き家・古民家をリノベーションして地域のカフェにしたいという方が現れて、「それなら一緒にリノベーションしましょう」ということになりました。
実は、そのとき一番はじめに思ったのが、やっぱり蔵庭の「リノベーションキャンプ」でした。今回も、キャンプスタイルでリノベーションのワークショップをしたいと思いましたし、今まで商店会やマーケットイベントに参画して、ある程度中に入ってやってきたので、一応運営のコツもわかっていたんです。自分の中では、今までやってきたことや経験が一つの形になって、まとまったようになったのが今の街並みの会の活動なんです。
▲竹口さんの自宅前。敷地内には数々のDIYの跡があり、都野津暮らしを楽しんでいる様子が存分に伝わってくる。
竹口さんは街並みの会の事務局長に就任した。Iターンしたばかりの人が会長をやるのはどうなのかということ、建築的な理解があること、ある程度の人の繋がりを持っていることに加えて、仕事上の立場や事務的なこともそれなりにできることなどもあって、事務局長に手を挙げたという。基本的にやっていることは、いろんなイベントなどのまとめ役だったり、学生と地域との間を取り持ったり、市・県・公益財団法人ふるさと島根定住財団との助成事業活用に係る協議、関係人口の受け入れや調整、仲介などが主な役割だったという。
竹口さん:江津高校との関わりは、イベントをやっている際に『だっぴーねぶた』(※編集部注:創立60周年を迎えた江津高校が記念事業として作ったマスコットキャラクター)を作りたいという話がきっかけでした。江津高校の先生方や校長先生とも一緒になってやりました。先生方が私のことを知っていたので、非常に取り組みやすかったです。島根県立江津工業高等学校さんも同じように、イベントを通じて先生方と知り合いだったので、ポリテクと高校側のやり取りもスムーズで、自然と流れができていたんです。事務局長としても、そういう伝手(つて)というか、人脈を活かしてやりやすい環境を作っています。
都野津の旧市街地は、平成が抜けてる町だと私は思っているんです。平成に建てたものがほぼ無いんですよね。昭和初期とか築100年の建物が当たり前にあるような地域で、当時の街並みがここだけすっぽり残ってるんですよね。そこが良いんです。
とても都野津に愛着を持って活動していらっしゃいますね。都野津のどんなところに愛着を感じておられるのでしょうか。
竹口さん:やっぱり人ですね。桔梗(ききょう)さん(※編集部注:都野津の旧市街地の地元住民とUIターン者を繋ぐグランマ的な存在)という人がいて。なんというか、この周辺の若い人たちをとりあえず呼んで、ピザパーティーをするみたいな元気な人なんですよ(笑)。子供が病気になったりしたら預かってくれたりとか、面倒見の良い方で、私にとっては、とりあえず都野津には桔梗さんがいるというのが一番大きかったです。
また、寺井さん(※編集部注:ご主人は木工職人で街並みの会の会長、奥様は自然派食品を扱う店主として共に都野津の古民家で運営)っていう面白い人が近所にいたりして。とりあえず人が面白いなっていうことですね。更に、私の中で一等地、この場所が良いなっていう土地が更地で空いていたのも良い機会でした。
転勤族だし、Iターンでもあるし、正直家を建てるつもりは当初なかったんです。江津に来て7~8年経った頃に、そろそろ転勤かなと家族で話をしていて。子どもは、もうすぐ中学生になるし、(転勤になったら)このまま家族4人で行くか、私1人で行くかみたいな話になったときに、子供たちは江津に残りたいと言いました。妻も正社員として働いているし、だったらもう江津に家を建てて単身赴任でもいいかなと。じゃあどこに建てるかと言ったらここしかないでしょうと。子供にとっては完全にここが故郷ですから。
竹口先生から見て、都野津の良いところは、どういうところでしょうか。
竹口さん:やっぱりこの街並みですかね。都野津の旧市街地は、平成が抜けてる町だと私は思っているんです。平成に建てたものがほぼ無いんですよね。昭和初期とか築100年の建物が当たり前にあるような地域で、当時の街並みがここだけすっぽり残ってるんですよね。そこが良いんです。その上、駅が近くて小・中学校に徒歩や自転車で行ける。保育園もあるし、実は好立地でもあるんです。ちょっと入ったら本当に住民しか通らない道なので、うるさくもないし過ごしやすいんですよね。小道が迷路のようにあるのも散歩してて飽きないというか。
▲自宅から歩ける距離に友人・知人・仕事仲間がいる暮らし。それを心地よく思える人にとっては住みやすいエリアだろう。
移住や定住するにあたって「どんな人がいるのか」「地域の人たちとどうやって付き合っていくか」といったそのエリアのコミュニティを気にする人は少なくないと思います。都野津のコミュニティは竹口さんにとってどのように映っていますか。ズバリ、ご近所付き合いや人間関係についてもお聞きしてみたいです。
竹口さん:私特有なんですけど、家の周りは良いですよね。隣には市役所の知っている方がいますし、別のお隣さんも市役所の職員さんで、しかも私の教え子の実家です。斜め前の家も私の教え子の実家で、その隣の隣は寺井さんだし、その近くには桔梗さんもいます(笑)。
仲の良い人たちが数分以内のところにたくさん住んでいます。この通り全員引っ越す前からほぼ知っているっていうのは中々すごいですよね。非常に良かったです。ただ知っているだけでいろいろ話しやすい感じが面白いんですね。友達でもない、かといって仕事の繋がりっていうわけでもない、そんな関係性です。地域で暮らしていてよく思うのが、仕事と地域と生活の境目がないっていう。それが私の中でしっくりきたんです。近すぎず、遠すぎずって感じなのかな。
竹口先生は学校教員という仕事をしています。地域活動に根ざした会社を起こすわけでもなく、仕事をしながらこれもやるという、自分自身の中にあるこのバランス感覚をどんな風に捉えているのでしょうか。
竹口さん:地域とはお互いにやりやすい感じなんですよね。そういう会社を起こしたところで今の分を稼げるかっていう自信もないし、私は教育産業だけでしか働いたことがないこともあり、経済的なことが実はすごく弱いというか。それなら学校にいながら地域に絡んでいった方が、私的にはデメリットがないというところがひとつ。そして私が学校にいるから、学生を呼べるっていうのもあるわけですよね。地域から見た場合、私が学校にいた方が、学生を引っ張りやすいんじゃないかな。それはメリットですよね。そもそも学校で教えているのも嫌いじゃないし、学校だからこそ資金もあって研究もできます。
ポリテクについてお聞きします。地域活動に積極的なポリテクという学校がこの先、江津で何かをやっていく上で、竹口先生が感じる課題はありますか。
竹口さん:学生自体のレベルを上げたいなっていうのがあります。全国に25ヶ所同じようなポリテクカレッジっていうのがあるんですけども、島根だけが飛びぬけて地域活動をしているんです。学生最後の卒研、総合制作って言うんですけども、大体10テーマぐらいあるんですね。毎回20人、それはグループだったり個人だったりするんですが、島根は10テーマ中8テーマぐらいは地域で何かをやっているんです。これは大きな特徴と言えます。
例えば「よしゑやし」のリノベーション、佐々木凖三郎記念館(都野津会館)という建物の耐震診断、都野津エリアのマップを建築的な情報によって集約するGIS(地理情報を扱いながら管理・加工する一連のシステム)もやっています。他にも江津本町や波積(はづみ)地区でもちょっとした取り組みをやりながら研究しています。こうして8テーマぐらい地域で活動しているので、だったらもう地域に特化した学校になったら他と差別化を図れるし、面白いんじゃないかなっていう話は学校にしています。
これだけ学生とともに地域へ繰り出していると、学校が周知されていく効果がありますよね。学校側にとってもメリットがあるはずです。そういうことに対しての学校側からの何かしらのレスポンスはあるのでしょうか。
竹口さん:新聞に何回か載ったとかですね(笑)。やっぱりメディアに出るっていうところの評価を学校からいただいていると思います。
現時点での竹口先生の活動の大きな実績、象徴的な場所として「よしゑやし」がある。ここは元々は空き家だった。江津高校のお膝元であり、地域で何かしたいという街並みの会の会員の声もあって、空き家対策というテーマの元、プロジェクトが立ち上がった。これまでお伝えしているとおり、学生を中心に取り組んだ様々な地域活動、何より技術を要する空間作りの実績があったことが信頼関係を結んだ。
「よしゑやし」を運営しているのは野上さんという女性だ。「地域に根差した食堂カフェを作りたいので、何か一緒にやれるといいですね」「じゃあポリテクとして関わりますので一緒にやりましょう」というやりとりがあった。そこから地域とともにワークショップを企画し、1年かけてリノベーションを行い、2023年にオープンした。
▲都野津の中心にある「よしゑやし」。ひとたびイベントが開催されれば会場になり、たちまち憩いの場になる。(写真提供:竹口さん)
「よしゑやし」は1年かけてリノベーションして完成させたんですよね。
竹口さん:学生だけでできるわけがないので、地元の業者さんにも入ってもらいました。建具は寺井さんにお願いして、地元の宇津﨑さん(街並みの会の会員)に建築士会の専門家として入ってもらいました。厨房をはじめ、学生ではできないところはお願いしました。市・県・公益財団法人ふるさと島根定住財団からも声が掛かり、助成事業を申請し、関係人口づくりで広島からも人が来て一緒にやるという。でもコアなメンバーは、もちろん都野津の人たちです。
プロジェクト全体の進行管理役というか、資金調達など含めて竹口先生はプロデューサー的な立場ですね。
竹口さん:それは私ですね。でも、こういうことに興味がある新しい先生もいますし、学生の調整などは別の先生にお願いしたり、色々な関わりがあります。全体の帳尻を合わせたり、町との兼ね合い、業者とのやり取りなんかが私の役割でしたね。本当に1年でやりました。1年前(2022年)の「つぬさんぽ」(毎年3月に開催している都野津の街歩きイベント。多数出店者も集まる)のときにやりましょうということで、2022年の4月から動き出して、2023年3月にプレオープンしました。
「よしゑやし」のネーミングについて。ここ都野津は、歌聖と崇められる万葉歌人・柿本人麻呂ゆかりの地。「よしゑやし」はこの人麻呂の石見相聞歌の一節から名付けられた。人麻呂が妻・依羅娘子と別れて帰任する時、都野津の海を歌い込んだもので「いいじゃないか!」を意味するフレーズだ。(※編集部注:よしゑやしの公式ショップカード記載のものを編集部で一部改)
今後も竹口先生は、様々な方面で地域活動に携わっていくのだと思いますが、だからこそ見て、感じる、課題やテーマ、こうなったらいいのではないかなど、イメージしていることはありますか。
竹口さん:私の中で組織というのは、やっぱり新陳代謝を起こさないといけないと思っています。そのためにも、また1度は(県外に)出て行こうと思っています。だから、今できる限りのことをしたい。ここ(よしゑやし)をやるときも新しく来た先生と話したんですが、地域と繋がったことで、他にも2、3件ほど相談を受けています。他の先生に協力してもらいながら考えています。この街並みの会も、私がいなくても回るようにしたいと思っているので、実はこのことを考えながらやっています(笑)。私が1回抜けて、その間にまた盛り上がるにしろ、変わるにしろ活動が続いていくといいなと思っています。
新陳代謝についてお聞きします。まちづくりをする人とか、いわゆるプレーヤーとか、その世代が変わっていき、次の世代の人が次のアクションをしていく、みたいな循環ということですよね。もう少し新陳代謝についてお話してもらってもいいでしょうか。
竹口さん:組織としてはトップに10年、これがマックスかなと思っているんですよね。良くも悪くも、1回、次に引き継ぐにしろ、変わった方がいいなとは思っているんです。私も転勤族ですけど転勤制度自体は、悪いものではないと思うんですよね。転勤して住みづらいとか、希望地に行けないっていうのはありますけど、住むところが良ければ辞めないし、仕事を持ちながら辞めずに新しい環境に行けるわけなんで、新陳代謝を起こしていいんじゃないかなと思います。
私の場合は転勤というのがいいタイミングなのかなって思っているんです。町もそうですよね。10年以上同じ人が(中心人物として)やっている町は、とりあえずキープが限界になってくるんですよね、どうやっても。良くて現状維持というか。多少後退することはあったとしても、次の世代を育てるためには、やっぱり回していった方がいいんだろうなと思いますね。
言われてみるとこのウェブサイトで紹介している人をはじめ、まちづくりの分野で活動している人たちの多くは10年選手だ。時間の経過とともに慣れてくる部分もあるだろうし、仕事であったとしてもモチベーションを続けていくことは容易いことではないだろう。「江津で何か楽しいことをしたい!できる!楽しい!」のような新鮮な気持ちを持ち続けることの難しさはあるはずだ。
新しい人たち、新しいエネルギーはポジティブで更なる循環を呼び起こす。一方、竹口先生を見ていて感じるのは「まちづくりがしたい」という大きなテーマというよりは「自分が楽しいからやっている」というスタンスだ。そんな竹口先生から見る江津。少子高齢化と過疎化の波に抗いながらも、日々一生懸命なにかに取り組むということに対して、難しさはあるのだろうか。
江津は、やりたいを応援するまちってよく言われていますが、実際やりやすいですよね。市役所の人も話が早いし、必要な書類まで作ってくれるし、みんな知り合いで、且つあそこに行けばわかるみたいな、顔を知ってる人たち同士で繋がっているので、他のまちよりもやりたいことはやりやすいんじゃないかなとは思いますね。
▲竹口先生とポリテクの学生たちは特性を発揮してこの10年、江津にたくさんの「地域コミュニティ」を作り上げてきた。(写真提供:竹口さん)
竹口さん:やりたいことができないと「ここにいろ」とも言えない。若者がやりたいことがここでできれば、東京とか大阪に行く必要もない。若者の受け皿としてできることがあるんだったら、それを頑張ってやっていこうっていう思いですね。やりたいことができる町、もうその1点かなと思っています。ここでこういうことできるんだって思えること。逆に東京でこんなこと(リノベーションしてカフェをオープン)できるわけがない。この町ではできるんだっていうのが、小さいことでも広まっていけば、「やりたいことは結構できるんだ」ってなる。仕事の種類もそうですけど、そういう受け皿になれればいいなと思っています。
それとね、人のやりたいを叶えてあげることが、自分のやりたいことを実現する一番の近道なのかなっていう思いもあります。江津は、やりたいを応援するまちってよく言われていますが、実際やりやすいですよね。市役所の人も話が早いし、必要な書類まで作ってくれるし、みんな知り合いで、且つあそこに行けばわかるみたいな、顔を知ってる人たち同士で繋がっているので、他のまちよりもやりたいことはやりやすいんじゃないかなとは思いますね。
ただやっぱり専門性、専門的な教育環境がないのはネックかなとは思います。地域のことは他よりも抜きん出てるんですけど、やっぱり学術的なことや専門性の高いものを学ぼうとするならば(県外へ)出るのも仕方ないよねって、誰も止められないよねっていうところはありますよ。東京なんかにも行くことはありますけど、あのビル群の中で生活したいからここに集まるんだよねっていつも思うんです。
江津の学生は、みんな都会が嫌だって言ったりするんですけど、じゃあ人間の本能的にはどっちを望んでいるのかなんてことを考えたりしています。都会暮らしをみんなが望んでいたら、田舎って消滅していくものなのかなとか。人間ってどっちを望んでいるんだろうっていう(笑)。
最後に江津市のスローガン『山陰の創造力特区へ』のご自身なりの解釈を聞かせてください。
竹口さん:私、学生時代に論文で「想像」と「創造」の二つを一つにして「想創(そうぞう)」っていう字を書いて(あえて書いたんですが)、全部バツにされたことを思い出しました(笑)。
創造力特区ですよね。新しいものを作るっていう意味もあるんですけど、最近聞いたことがあって、アントニ・ガウディが「人間には創造ができない、ただ発見するだけだ」って言ったそうです。要は人間が創造したものって何があるっていったら実際何もないんですよ。原子レベルで言うと全部発見したことしかないんですよ。元々あるものだったということ。だから元々あるものを新しいものに変える、視点を変える、取り方を変える、面白くなかったものをこう使ったら面白いんじゃないとかですね。「これとこれをこう繋げたら面白いんじゃない」っていういろんな発見をしていく。そこから新しいものを作るのことが創造力なのかなと思っています。
「創造力特区」というスローガン、私は嫌いじゃない。むしろ好きなので、どうせ押すなら心中する覚悟で押せばいいんじゃないって思っていますよ。好きなことでもうひとつ。高杉晋作の名言「おもしろきこともなき世をおもしろく」です。なんでも面白くなるもんだって思うんですよね。多分ここに住んでいる人たちより、私は都野津の暮らしを面白がっているんじゃないですか(笑)。
GO GOTSU! special interview #19 / KOJI TAKEGUCHI