KITSUTSUKI

トラットリア キツツキ
大原 宇城 / 智恵子

林業をやっていたこともあって木にまつわる生き物の名前をつけたいなと思って『キツツキ』にしようと。「ここに来れば美味しいものがあるよ」「新しい発見があるよ」というのをコツコツと発信しようと思って。(宇城/いえしろさん)
私の料理は閃きが多いんです。レシピもなくて。食材を見て「あ、これ入れてみよう」とか実験的なことをよくやります。笑(智恵子/ちえこさん)

GO GOTSU special interview #17
 
 

 

2020年春、松川町市村に、イタリアンベースのトラットリア『キツツキ』がオープンした。経営しているのは江津に移住して20年の大原ご夫妻。ご主人の宇城(いえしろ)さんは移住当初は林業で生計を立て、奥さんでシェフである智恵子さんは昔から料理人一筋。江津や桜江、邑南町で仕事をしながら念願のトラットリア(食堂の意)を開店。3年目を迎えた現在、お店は日々予約で埋まる。 

ここ数年は江津市内のバイパスを走る車が増え、明らかに人の動きが変わってきた。近い将来、ここには山陰道が開通する。島根の西部と東部の往来が快適になるはずだ。松川町近くにもインターチェンジができる計画があることから、このエリアは今後おもしろくなっていくだろう。本サイトではお決まりの移住した当初の話から直近の仕事や暮らしに至るまでお二人にたっぷりとお話しを伺った。

 

20代はじめの頃は神戸の飲食店で働いていましたが、「生活や仕事が不規則だな、自然に触れたいな」と感じるようになって、求人があった林業という職業に興味を持って。実際に桜江に来てみたんです。(宇城さん)


 

▲国道261号線の市村。桜江方面に向かう途中、左手を見るとまるで森の中にあるようなキツツキが目に入ってくる。

 

江津に移住されてから20年ほど経ったんですよね。移住前はどこで何をされていたのでしょうか?それから江津に住もうと思ったところまで聞かせてください。

 
大原宇城さん(以下、宇城さん):出身は神戸市長田区なんですけど、18歳〜20歳くらいの頃の話になりますが、神戸の繁華街にあるイタリアンレストランで働いていました。ただ、生活や仕事が不規則だなと思うようになったんです。自然に触れたいと考えていました。妻とはこの職場で出会っています。株式会社リクルートが出している地方の求人雑誌に林業があって興味がありました。

やってみたいと思って江津市内の事業所に連絡してみたら、「とりあえず一回来てみんさい」と言われて行ったんです。その事業所では県外の人を何名か受け入れていて「これならできそう、やってみよう」と思いました。神戸が近いとすぐに戻ってしまいそうだったのと、「全くゼロからの状態でどこまで自分の力が試せるかな」と思ったこともあって離れた場所に住むことにしました。

 

このとき、お二人はまだ結婚する前だったんですよね。神戸という大きな街で飲食店で働いていたパートナーが林業をやるから島根(江津)に行こうという話が出て、それを聞いた時に智恵子さんはどう思われましたか?智恵子さんのご出身も兵庫ですか?

 
大原智恵子さん(以下、智恵子さん):私は兵庫県たつの市出身です。島根に行くという話を聞いた時は最初は羨ましかったです(笑)。私もいろんなところに行きたいタイプだし、自然に触れられるということも魅力的でした。「どうぞ行ってきてください」という気持ちでしたね。それなら私もどこかに行こうかなと思い、同じように自然の中で働きたくて長野に行きました。専業農家さんのところに住み込みで畑仕事の手伝いです。レタスとかキャベツとか。神戸のレストランで仕入れていた野菜の箱に「JA長野」って書いてあったので電話したら「忙しいからすぐ来てほしい」と言われて、すぐ行きました。ワンシーズンですが働きました。その後、群馬の嬬恋村にあるホテルの厨房で働いたり、そこで知り合った人からの紹介もあって沖縄のリゾートホテルでも働きました。ずっと調理の仕事をやっています。結婚するまではずっと遠距離恋愛ですね。

 

お二人とも思い立ったら即行動タイプなんですね。ご結婚されたのは何歳のときですか?

 
宇城さん:結婚は23歳のときです。遠距離恋愛していた頃は最初のうちは頑張っていましたが、電話して「ハード過ぎて神戸に帰りたい」なんて言ってましたね。(笑)結婚したタイミングで桜江で暮らし始めました。林業は10年間続けました。


智恵子さんは移住してすぐに江津でお仕事されていたんですか?

 

智恵子さん:結婚してから邑南町の日貫(ひぬい)とか瑞穂ハイランド(邑南町にあるスキー場)のキッチンで3年ほど働いていました。

 

▲料理人一筋の智恵子さん。手際の良さはもちろん、厨房で見せる表情は職人そのものだ。

 

智恵子さんの料理スタイルというか得意なスタイルみたいなものはあるんでしょうか?もうひとつお聞きしたいんですけれど、色々な町で仕事をされてきて、江津に来た当初、それまで働いていた場所と比べてギャップのようなものを当時感じたことはありますか?

 
智恵子さん:スタイル的にはイタリアンベースかなと思います。移住当初にまず思ったのは調理に必要な物資(食材とか調味料等)が選べないという感じはありましたね。20年前なので野菜も今でいう西欧野菜もなかったですが、それでも困ったことはなかったです。「あるものでやればいいよね」という気持ちでいたのでギャップみたいなものは、、、ほとんど感じませんでしたね。

 

 

智恵子さんは「ご主人に引っ張られて江津に来た感覚」もあったようだが、そもそも執拗になにかに拘るような感覚を持っていないように感じる。ネガティブに考えることをせず、そこにある環境の中で仕事をつくり、やり進めていくような。お二人とも神戸のような都会も含めていくつかの地方で働いてきた。食材の選択肢があまりなかった20年前の話の他にも、江津ならではの地域コミュニティ、人間関係、職場の雰囲気、あるいはおしゃれな店で働きたいというような誰もが感じる様々な感情があったのだろうか。

 

 

智恵子さん:江津で不便なことですか?不便過ぎて逆に不便を感じませんでした。(笑)「温泉あるからいいじゃん」というくらいの感覚でしたね。引っ越してきた当初は桜江の方に「ここはマイナスイオンがタダだから。」なんて話を聞いて笑ってましたね。

宇城さん:逆に僕のほうがホームシックにかかって3日間くらいで帰りたくなりました。(笑)

 

▲ホールや接客の担当はすべて宇城さん。おだやかな表情とホスピタリティにはやさしさを感じる。

 

10年間林業をやってきたわけですけど、振り返ってみてどんなことを思いますか。

 
宇城さん:1日仕事が終わって帰って子どもの顔を見れて夕陽を見ながらご飯が食べれて、それだけで満足でした。小さなことを気にしなくなったというか、(自分が)大らかになったような気がします。自然相手の仕事ですから、雨も雪もありますし、危険もあります。山仕事ってすぐに結果が出ないものなので40年とか50年たって見えてくることもあるようなスケール。林業ならではの価値観や、ここでしか得られないような営みを感じることができたと思っています。

 

林業の仕事から再び飲食業へ戻った「きっかけ」を教えてください。

 
宇城さん:林業の仕事で10年くらい経った頃、江津に「森のレストラン」ができました。2011年くらいの話ですね。そろそろ転職して、そこで働きたいなと考え始めたんです。妻とも常々「自分のお店を持ちたいね」という話はしていました。また林業の話に戻るんですが、ある時、日貫の工事現場が落ち着いたタイミングで、これから自分たちがやりたいことをお伝えするというか、改めて自己紹介する意味も含めて妻のイタリアン料理を職場や地域のみなさんに振る舞う機会がありました。そのときにみなさんが「こんな場所でこんなものが食べれるんだ」と言ってくださって。とても喜んでもらったんです。使った野菜は近場で手に入るものだけで作ったんです。それが美味しくて。そのときに思ったのがいい食材があるのに、季節感を味わえるお店(飲食店)が少ないなと。そこから二人で話をどんどん詰めていった感じですね。

智恵子さん:お互いに10年くらい働いたところで、「すぐにオープンとはならないまでもまずは設計図でも作ってみようか」と話し合って見積もりをいくつかの施工会社にお願いしたんです。その中の一つの会社が森のレストランの設計を手掛けていて、「調理場の部分はこの図面(うちの設計プラン)を使う提案をしたい」と言ってくれたり、「調理師も募集しているから森のレストランで働きませんか」と紹介してくれたご縁がありました。その後、立ち上げメンバーのようなかたちで私が先に森のレストランで働くことになったんです。

宇城さん:はじめに(妻に)助言とかアドバイスをしながらその後、僕も森のレストランで働くことになりました。自分たちの店のことは金額的にまだ余裕がなかったので保留にさせていただいていました。 森のレストランは障がいを持つ方も一緒に働くという環境があって、それはそれで面白そうだなと思っていました。どこかのチェーン店だったら恐らくやってないと思うんですけど、また自分たちが成長できるのではないかと感じたこともあって働いてみようと思いましたね。

 

▲「奇をてらうような料理ではなく、トラットリアらしく地域の食材を使って親みやすくしたい。」と宇城さんは言う。

 

お二人でまた同じ職場で働くことになったんですね。実際森のレストランのお仕事はいかがでした?店のキャパも大きいですし、スタッフも多いですよね?

 
宇城さん:大変なことはもちろんですけど、障がいという特性がある方もいる中でマニュアル作ったり、モチベーションを上げたり、いろんなことに対して「待つ」というか「信じる」というか、林業とは違う感覚を感じました。働き始めた当初から「いつか自分たちの店をやりたい(独立する)」「数年間くらいの雇用期間になる」ということは責任者の方にお伝えしていました。

それでも僕たちを歓迎してくれました。その間にお客さんと接点を増やしたりとか、仕入れのことを知って学んだりとか、取引業者のネットワークを広げたりとか(キツツキ開店までの)スタートライン手前だったので色々な準備はできたかなと思っています。最後はレストラン部門の責任者になるくらいのところまでは任せてもらいました。数年を予定していましたが伸びて伸びて9年間働きました。

智恵子さん:厨房を全部任されるのも初めてでした。業者さんとの取引もそうですし、立ち上げ当初は主人はいなかったですけど、アドバイスをもらいながらやっていました。いきなり大きなキャパのお店でしたから大変でしたね。

 

森のレストランで「再び同じ場所で一緒に働いた9年間」は視点を変えることと、未来のご夫婦の未来へ飛び立つ準備期間だ。目の前の仕事に日々取り組みながらトライアル&エラーの経験も積んだ。林業の仕事を終えたあとすぐにオープンもできたかもしれないが、機が熟したからこそできることもある。焦らず着実に準備を進めているのがこのご夫婦の特徴のような気さえしてくる。

 

▲内装の設計やデザインには宇城さんのお兄さんも関わってくれた。

 

話は少し逸れるがご存じのとおり、その頃(2011年頃)の江津の町には新しい風が吹き始めた。20代を都心部や各地で働いて過ごし、スキルや経験を積んでキャリアアップしてきた30代の江津出身者たちが不思議と時同じくしてUターンし始めたのだ。各々が起業したり小商いを始め、明らかに江津が活気的になった。(本ウェブサイトで紹介している方々は多数含まれる)

中心市街地活性化というテーマのもと「てつなぎ市」や「夜市」をはじめ、旧ショッピングモールの跡地でイベントが開催されるなど様々な活動が目立つようになった。古民家リノベーションによるゲストハウスができ、観光客とはひと味違う面々が江津に関わりを持ち、「この町に縁もゆかりもなかったはずのIターン者」が移住してきた。そのような「新しいエネルギー」と「新しい視点」をまとめ、ともに伴走支援してくれる団体(NPO法人 てごねっと石見)ができ、さらに江津市や各種団体とコンソーシアムを組んで『Go-Con(ビジネスプランコンテスト)』が誕生したのもこの頃だ。

 

▲華やかなランチコース。季節とともにそのとき手に入る食材でメニューは変わっていく。

 

お店を開けてからの方が近隣の生産者がどんどん来てくれて、情報交換をさせていただいて、使えるものがどんどん増えていきました。お店で出すコーヒーや紅茶もほとんどご縁の繋がりです。キツツキはレストランではなく「トラットリア(食堂)」なのでかしこまらずに美味しいものを食べてもらいたいなって。(智恵子さん)


 
ちょうど今から5年前くらい前だと思いますが、「松川町にイタリアンレストランができるらしい」という噂を耳にしたことがあります。

 

宇城さん:15年前には桜江町に住んでいました。子どもが生まれたり、独立のことも考えて一軒家を探していたんです。江津市の空き家バンクを使って探しました。この場所は、浅利にも江津にも桜江にも川本にも行ける分岐点のような場所なので開業するにあたってお客さんも来やすいんじゃないかというのはありましたね。

智恵子さん:近所に蔵庭(2015年7月オープン)ができるタイミングで「おやき」で有名だった大西さんが「最近移住したおもしろい夫婦がいるから会ってみなよ」って言ってくれたのを覚えています。会ってみたいなと思っていました。松川町に来てから子どもが増えて、あっという間に9年経ってしまったんですけど(笑)。

 

いよいよキツツキのオープンに向けて動き始めていくんですね。どういう流れでキツツキができたのか、ぜひ聞かせてください。

 

宇城さん:最初は古民家のリノベーション、1階が店舗、2階が住居というプランもあったんですけど、耐久性とかレイアウトの自由さなどを考えると一回全部解いたほうがいいのではと言う話になりました。建てた当初は子どもがまだ小さかったんですが、なにかあったらすぐに行ける(家を見れる)というのは都合よいと思ったので、店舗兼住居というプランがよいと思ったんですね。店舗と住居と両面を考えなければいけなかったし、設計しているときは大変でしたね。大きいなという(笑)。

 

▲窓から見る景色は、あたり一帯を見渡せるので実に心地よい。

 

オープンは2020年の4月でしたよね。この頃はまさに、、、。

 

宇城さん:工事がはじまったときは新型コロナウィルスが始まったときでした。「(都会に比べて)こっちは大丈夫だろう」と思っていたらあれよあれよと言う間もなく全国に広がって。4月20日にオープンしましたけど、緊急事態宣言が出て江津駅前の店もみんな閉めていて、どうにかやる方法を考えていました。テイクアウト営業をしたら、たくさんの方が来てくださいましたね。

 

キツツキという名前はとても覚えやすいですね。

 

宇城さん:林業をやっていたこともあって木にまつわる生き物の名前をつけたいなと思っていました。このあたりには鶯(うぐいす)とか雲雀(ひばり)もいますけど、ちょっとありきたりだなと思ってキツツキにしようと。「ここに来れば『美味しいものがあるよ』『新しい発見があるよ』というのをコツコツと発信していこう」という気持ちで決めました。

 

お料理のコンセプトとかはどうでしょうか?

 
智恵子さん:特に絶対こう、とまでは決めていませんが生産者の顔が見えること、地産地消は大事にしたいなと。野菜もそうですけど、鴨とか豚とかこの周辺にあったので絶対使いたいなと思いましたし、斐川(出雲)の生産者の野菜も使っています。でもお店を開けてからの方が食材を持っている方がどんどん来てくれて、情報交換をさせていただいて、使えるものが増えていきました。お店で出すコーヒーや紅茶もそうやって繋がりができていきました。レストランではなくトラットリア(食堂)なのでかしこまらずに美味しいものを食べてもらいたいなっていう。平日は江津の方が多く、週末は遠方からも来ていただいています。

宇城さん:コロナになる前はトラットリアっぽく席数を増やしてやろうと思っていたんですが、こうなってしまったので密にはできない。それでコース制にさせてもらっています。ゆっくり食事がしたいというニーズもあったので、これはこれでよかったかなと感じています。作る側もゆっくりじっくり準備ができますね。

智恵子さん:ゆっくり食べれるので子育てが落ち着いたご夫婦とか、女性グループの方々も多いですね。来られたお客さんが満足して帰ってくださる表情を見れるのは嬉しいです。

宇城さん:お昼は14組くらいにさせてもらって夜は2組くらいにさせてもらっています。(※編集注:取材当時)夜は家族やちょっと人数が多い場合は貸切でやらせてもらっています。プライベートのような空間ですね。僕らもどんどん入れるというよりは丁寧に、自分たちが満足できるような雰囲気を大事にしようとしています。慌ただしく動いているよりもお客さんに野菜や食材の話をしたり、付加価値をつくっていきたいと思っています。

 

▲ホールと厨房がオープンで、すぐそこで料理する音、姿を見て感じることができる良さがある。

 

お二人に感じたことがある。それはなんとなくだが「江津に染まっていない雰囲気」があることだ。1020年経つと「すっかり島根の人」というか、地域色に染まるものだ。(もちろんこれは悪いことではない。)夫婦でひとつの店をやるということは仕事も、暮らしも、会話も、すべて一緒になる。だが、お二人を見る限りそこに線をひくこともなく、「すべて一緒であること自体が自然」で、特に何かを意識していることはないという。夫婦間の距離感も自然で、働くことと暮らすことがまるでグラデーションのようにつながっているように見える。このようなイメージを言語化することはないのだろうが、ふたりの中に自然に共有されているように感じた。

 
 

お子さんは全員島根暮らしということになりますよね。江津での子育てについても感じたことをお聞きしたいです。

 

宇城さん:今、長男が大学1年、長女は高校1年、次男は中学1年、小学1年と、4人います。僕らふたりは町の方(都会の方)だったんで、たとえば親子遠足とか授業参観とか、両親共働きだったんで来てもらったイメージがないんですけど、こっちは親御さんがみんな協力的じゃないですか。多少忙しくても子どもを優先するというか。そのスタンスはいいなあと思っています。

町の方は仕事ありきですけど、こっちは仕事とプライベートのバランスがうまいこととれているんじゃないかなと思いますね。地域のおじいちゃんやおばあちゃんに子どもを見てもらったり、「あの子はどこどこの子だ」って知ってるからすごく安心だし、理想的な環境だなとは思います。コンパクトな町だし、子ども4人ずっと子育てしてるんで(笑)知り合いも多いですし、いろんな方と繋がっています。学校のクラスも人数が少ないですし、そのまま中学校まで一緒でみんな仲が良いですよね。田舎ならではの自然なフィールドもあるし。

智恵子さん:長男は林業時代からですけど、早寝早起きして、睡眠時間もたっぷりで、夕方は毎日家にいるから音読したり子供の宿題を見たりとか、一番理想的に育てられたかもしれないです(笑)。いい子に育ってくれました。小学校から何の問題もなくというか、小さい学校だし、困ったこともほとんどないし、みんな良くしてくれるし、学校でトラブルみたいなことはなかったですね。

 

オープンから3年目を迎えて、ファンもすごく増えていると思います。数年後のキツツキや自分たちの暮らしのイメージで描いていることはありますか?

 

智恵子さん:妄想ですけど、もうちょっと「大きく」なったらいいとは思っています。たとえば泊まれるレストランとか、地域がもっと一体となっていくような何か。。

宇城さん:松川でイベントをやりたいですね。江津の東部にはおもしろい人がいるので何かできると思います。このエリアにもスポットライトが当たるといいなと思います。河原もありますし、ここのフィールドを活かしたことをやっていきたいです。

 

▲ふたりの世界観がとにかく伝わってくるトラットリア。県外からも多くの人が足を運ぶ。

 

このインタビューは移住や定住のもっと前段階の、江津に興味を持ってもらったり、ゆるくでも関わりを持ってもらえるような情報をお伝えする意図があります。移住したり、江津で活動拠点をもちたいと思っている人に対してお伝えできるメッセージがあればぜひお願いします。
 

宇城さん:僕らみたいに「一点江津」に移住するというパターンもあればいろんな場所を見た上で江津に興味を持つパターンもあると思うんですね。思うのは、すぐにピタッと合うことはないのではないかということ。何かをやり続けたり、住み続けたり、暮らし続けて、日々を営んでからいろんなことに気付くというか。そのとき無意識に、自然と居心地が良くなってきたり、居場所が出来てきたりとかっていうことがあるんだと思います。軸がブレなければきっといい場所だと思えてくるんじゃないかと思いますね。日帰りでも一泊でも来て、誰かと知り合いになったり繋がりをつくることがはじめは大事かなと思います。積極的に江津と関わりを持つというような。

智恵子さん:自分をしっかり持って、楽しくやるにはどうしたらいいかっていう探究心、数年後にこんな風になりたいなみたいなことを考えている感じですよね。さっきも言いましたけど自分たちがやっていることが形として見えてくると今度は人とかものとか情報が集まってくるんです。こういうのも江津らしいのかもしれません。

 

▲江津のことを聞いても固定観念のようなものがなく、今でも新鮮に感じている様子が印象的だった。

 

恒例の終わりの質問。「山陰の創造力特区へ。」と謳うこの町のスローガン。「あなたにとっての創造力とはどんなものですか?どんな捉え方をしていますか?」最後にお二人にお聞きした。
 

宇城さん:ものごとに対して不平とか不満を持ったとしますよね。不平不満とはちょっと違いますけど「あれ、なにか違うな」という「違和感を意識すること」は大事だと思います。それをそのままにしないというか。アナログ、体感、ずれ、ムダを楽しむことだなと思います。僕の場合、それが動ける源になっています。「それならこうしよう、こう考えていこう」というような。それも創造力かなと思っています。

智恵子さん:「これやりたい」、「あれやりたい」ということをいつも考えています。「あそこを耕して、何か植えたいな」とか、さっきのような妄想とか楽しいことを常に考えていますね。私の料理は閃きが多いんです。レシピもなくて。食材を見て「あ、これ入れてみよう」とか実験的なことをよくやります。(笑)

 

GO GOTSU! special interview #17 / KITSUTSUKI