WATABOSHI
里山子ども園 わたぼうし
地域みんなで「見守る保育」を。
〜跡市を子育ての町にしたい!〜
森のようちえんに出会ったことで町の見方が180度変わりました。
GO GOTSU special interview #10
自然の中での幼児教育を行う運動や団体、その教育環境の総称を指す「森のようちえん」。2018年春、江津市・跡市(あといち)に森のようちえん「わたぼうし」が開園した。園庭は森林の中。ここには柵で囲まれた園庭は存在しない。子どもたちは常に森の中で遊び、自然との関わりに触れ、感性を研ぎ澄ませる毎日を過ごしている。
森のようちえんは1950年代にデンマークで一人のお母さんが森の中で保育をしたのが始まりとされている。その後、1990年代から2000年代にかけてスカンジナビアからドイツにも大きく広がり、日本でも知られるようになった。山陰では鳥取県八頭郡智頭町にある森のようちえんが有名だ。
国道9号線から山間部へ車で走ること約15分。廃校になった旧跡市小学校が見えてくる。ここ一帯の里山がわたぼうしの「園庭」だ。正式名称は「里山子こども園 わたぼうし」。保育で一番大事にしていることは「見守ること」。子どもを信じ、大人の都合で先導しないことだ。園長は盆子原 拓(ぼんこばら たく)さん。Uターンのこと、園設立までの経緯や想い、2015年度のGo-Conのエントリーで得たもの、そして今起きていることなど様々な話を聞いた。
嫌いだった地元、家業。そんな私が「保育」を目指して見方が変わった。
▲跡市に広がる山と森。江津は地形的に町と山の距離がとても近い。
盆子原さんは江津・跡市出身ですよね。いつ頃、そしてなぜ戻られたんでしょうか?
盆子原 拓さん(以下、盆子原さん):13年前(2005年)に戻りました。実家は酪農をやっていました。牧場だったんですね。でも私は酪農という仕事が大嫌いだったんです。いつか絶対ここから出て行こうと思っていました。
進学はうまくいかなかったんですが、東京に行ったり京都に行ったりしていました。あるとき、実家を手伝ってくれと言われ一度帰ってきたんです。けれど、自分の好きな仕事じゃなかったことと父親とも折り合いがつかずで日々悶々とした気持ちでいました。そんなとき自分は何に興味が持てるのかを考えたとき、教育だったんです。
元々子どもと関わるのが好きでしたし、もう一度勉強してがんばれるのは保育だと思い、保育士を目指そうということで専門学校へ通いました。戻ってくるつもりはなかったんですけど母親が病気で倒れ、父親が他界し、私が家に戻らないとどうしようもなく、卒業を機に帰ってくるということで最初は渋々という感じでした。
帰ってきてからの仕事は人づてにあさりこども園(※当時名称はあさり保育園。以下表記はあさり保育園。)のことを聞き、そこに入れたということで、何か高い「志」があったとかそういうことではなかったんです。でも帰ってきてよかったなと今は思っています。というのも自分が実践している「見守る保育」というものに出会えましたし、帰ってきたからこそわかる自然の良さとか地域のあたたかさとか、そういうものに気づくことができたからです。
▲2016年に廃校となった旧跡市小学校。今も地域住民の寄りどころとなっており、跡市のシンボルであることに変わりはない。盆子原さんの出身校でもある。
盆子原さんはあさり保育園で保育士として経験を積んだ。勤続は12年間。決して短くはないこの歳月を簡単に説明することはできないと思いつつ、どんな12年間だったのかをお聞きした。
盆子原さん:盆子原:もう、充実していました。すごく実になったというか。今やっている保育のバックボーンがあさり保育園だったので今の保育に対する想いや園児に対する想いが育てられたという意味では(あさり保育園に)感謝していますし、充実した12年間だったなと思っています。自分にとって保育の基礎となった12年間でしたね。
私が入ったときから子どもを「見守りながら育てよう」ということを始められていて、そこで始めてそういう考え方に出会いました。「それってどういうことなのかな」ということを私自身学びました。単純に言って子どもが主体となっていろんなことを考えて行動に移すっていうことだったんですけど、それが実は時代というか、みんなそういう風に行動できるものだと当たり前に思っていたのにそうではなかったことに気づいたっていうか。
それは大人中心の保育を今までしていたのかもしれない、ということなのかなって。全部子どもの先取りをして、子どもが本来身につけなければいけない力を大人の都合でこうやったら自分たちがやりやすいだろうという形に変えてしまう、そこに早く気づけたというのはあります。
高校を卒業して10年未満で江津に戻ってきた盆子原さん。江津を出る前と戻ってきてからの町の風景や印象に違いはあったのだろうか。
盆子原さん:より廃れたなあと(苦笑。自分たちがいた時の方がまだ賑やかだったなあという印象でしたね。このまま尻窄みになっていくのかな、なんて思ったりもしましたね。
森のようちえんの存在。「ちょっとこれをどうにか、どういう形かわかりませんけど、自分の活動として立ち上げることはできないかな。」と考えはじめた。
▲わたぼうしの保育。開園にあたり時間をかけ森の中に道を作り、安全に遊べるように手をかけている。地域の方々も協力を惜しまない。
「いつ頃から『自分の保育』を作りたいと意識しはじめたのでしょうか?」
盆子原さん:保育をはじめて6~7年くらいですかね。元々園を作りたいという想いは学校に通っている当初からあったんですけど実際(園に)入ってみると現実はなかなか大変だと知りました(笑。
丁度あさり保育園で「自然に活かされる保育」って何だろうと考えていたタイミングで、たまたまテレビで森のようちえんの特集をやっていました。ドイツの森のようちえんでした。北欧、ヨーロッパが本場ですからね。それがきっかけで、森のようちえんというものに興味を持つようになりました。
森のようちえんというのは一般的な言い方としては自然を活かした教育です。園舎はないんですけど、自然や森の中に出て行って、自然を相手に子どもが自ら働きかけをして様々なことを学んでいくという概要です。 日本でそんなことをしている所はどこだろうとリサーチしたら鳥取でやっていました。「まるたんぼう」さんです。全国的に有名になり始めたくらいでしたね。すぐに園長に連絡を取ってもらい、見学をさせてもらいました。
まさに「これだ」と感じ、それからあさり保育園に持って帰って、「もくもくの日」という形で保育に取り入れることになりました。 それを繰り返していく中で、ちょっとこれをどうにか、どういう形かわかりませんけど、自分の活動として立ち上げることはできないかなと考えるようになりました。 それから、「こういう活動なら別に浅利じゃなくてもここ(跡市)でもできるんじゃないか」ってことで月イチでもいいから森のようちえんの体験型イベントができないかなって友人に相談したら「やろうよ」ってなってやり始めたのが「ぽくぽくてって」です。それから6年ぐらいやり続けたものがベースとなって今に至っています。
園舎がなくても「見守る保育」ができる
▲わたぼうしの保育。開園にあたり時間をかけ森の中に道を作り、安全に遊べるように手をかけている。地域の方々も協力を惜しまない。
自主企画運営で体験版森のようちえんを6年間続けた。そもそもなぜそういうことをやろうと思ったのだろうか?
盆子原さん:私の行動原理は「楽しそうだからやってみよう」という基準なんです(笑。まず最初に自分自身が楽しそうだなと思えるかどうかです。自分もそうですし、これをやったら子どもとか親御さんも楽しいんじゃないかと想像するんです。楽しいはずだからやろうと(笑。
鳥取のまるたんぼうへは毎年一度は見学に行っています。最初だけあさりの園長にアポをお願いしたんですが、その後は自分で直接やりとりさせてもらっています。
まるたんぼうを見てて一番に思うことは「園舎がなくても見守る保育ってできるんだな」ということです。普通は環境を作ってあげることで発達を促していくというのがあると思うんです。でもまるたんぼうへ行くと園舎はもちろんないですし、普通に険しい山の中に入って行って子どもたちが自らいろんなことを考えながら遊んでるっていうのがはっきりと見てとれるんです。それを見ている保育士さんたちも駆け足にならずに程よい距離感を保ちながら子どもの活動の様子を見ているんです。
考え方によっては自然の中でもそういった教育ができるというのが一番衝撃でしたね。他県からも片道1時間かけて通っている方もいるって聞いてすごいなって。制度的には無認可になるんですけど保育料を出してでも通いたいと思わせるというのはそれだけの魅力があるからだと思います。(鳥取県では、2015年3月に鳥取県内の恵まれた自然のフィールドを活用して保育を行う園を“自然保育を行う園”として認証している。)
ぽくぽくてってを主宰し、森のようちえんを知り、鳥取のまるたんぼうへ毎年行き、盆子原先生が描く「保育の世界」が大きく膨らんでいく。その後、どのようなアクションが生まれたのだろうか。
▲カメラが気になって仕方ない子どもたち。かくれんぼうをしたり追いかけっこをしながら森の中を駆け回る。
盆子原さん:そうですね、まず地域に訴えに出て行きましたかね。やっぱり地元でやることなので地元の方々にきちんと伝える必要はあります。跡市はコンパクトなので、それだったら地域の方も一緒に子育てに関われるんじゃないかと思いまして自分の想いを伝えるところからはじめました。
そこから場(園)を作りたいという想いがどんどん育つ。そして2015年、ビジネスプランコンテスト「Go-Con」にエントリーすることになった。
盆子原さん:正直言って出るつもりはなかったんです(笑。応募締め切りの一週間くらい前に実行委員の方から「どうですか?」って言われて(笑。そんなに言うなら出るだけ出てみようかなって思って。それでバタバタしながら事業計画書を作って応募したんです。それも出会いでしたね。
振り返ると刺激的でしたし、経験にも転機にもなりましたね。一緒にエントリーした方々と勉強したり、審査員の方の話を聞く機会もありましたし、そういう意味では自分の視野が広がったかなという気がします。
Go-Conの存在は以前から知っていましたが見ることもなかったんです。実際参加してみると江津の中にこんなにアツい人がいるのかと思ったり、失礼な言い方ですけど(笑、江津市の職員の方々もこんなに一生懸命なんだと知ることもできました。とにかくそれまでは地域や町に関わろうなんて思ったことはありませんでした。
▲森の中には子どもたちが自由に遊べるようになっている。おもちゃや教材はすべて森にあるものを工夫して使う。
Go-Conという”パブリックな場での宣言”を経て、いよいよ園の設立が現実味を帯びてきた。そのときの心境を振り返ってもらった。
盆子原さん:Go-Conが終わって本当のところ、実際どうしようかと迷ってはいたんです。(あさり保育園の)園長も応援しに来てくれて「実際どうなの、気持ち的には?」とは言われました。
そこまでくると自分も腹括るしかないなと思って、「もう、せっかくだったら、チャンスがあるならやります!」と園長に言ったことがきっかけで「じゃあ、やるにはどうしたらいいんだ。」ということでそこから動き出したかたちですね。
それから関係機関とのやりとりがはじまりました。ありがたかったのが政策企画課や子育て支援課が相談にのってくれたことでした。おかげで園の計画が立ち上がりました。あさりの園長は私が未経験だった経営について助言をくれたり、事務をやってくださる方とつなげてくれたり、色々なサポートをしてくださいました。未だに頭が上がらないですね。
ひとりで出来ることと出来ないことがあるはずだ。例えば園児の募集や説明会イベントの運営などどうしても人手が必要なことがある。仲間づくりが不可欠だ。そのあたりはどう乗り越えていったのだろうか。
盆子原さん:園を作るにあたり何かしらの団体を作る必要がありました。地域のみなさんに相談したら「自分たちが理事になってあげるから」と言ってくれて集まってくれました。園児募集については募集もかけたんですけど、ほとんどが人づてです。理事の方々も動いてくださいました。
応援とか支援ということで言うと最近そういった地域の方が増えているなというのを肌で感じようになってきました。今開園して4ヶ月くらいですけど(2018年4月開園)自分の家の里山を開拓して電話をかけてくれて「ここ、使っていいよ」とか「こういう場所があるから今度遊びにおいでよ」とか、そういう連絡がどんどん入ってくるようになって、そういうのは、ちょっと、ありがたいですね。
地域に自ら出ていったことがきっかけでそういう声をいただくというのはあるとは思うんですけど、「自分たちから関わろう」という姿勢を地域の方が持っているというのは前の園ではなかなかなかったことでした。今節々で感じています。おかげで遊ぶ場所が増えすぎてなかなか全部に行けずに申し訳ないという気持ちです(笑。
いただく意見は前向きに捉え、少しづつ実績を積むしかない。「創造的に生きること」とは前向きになること。
▲盆子原先生も一緒になって子どもたちと遊ぶ。この日は森の中でみんなでお昼ごはんを作った。
蓋を開けて見れば園児は定員よりも多く集まり、スタッフも揃い、最高のスタートが切れたように見える。はじまって数ヶ月。ここまでのところ、どんな手応えを感じているのだろうか。
盆子原さん:毎月いろんなことがあるんですけど、トータルで見ると自分が思っていたよりも順調なんじゃないかと思っています。毎日園に通ってくれて、自然の中で遊んでくれる。何よりも「わたぼうしに来るのが楽しい!」と言ってくれると「ああ、ちゃんと保育できてるんだな」と少し思えることがあるので。
もちろんはじめてやることなので中には「思っていたことと違う」と言われる方もおられます。そういうときは第三者から見るとこう映るんだなと、きちんと受け入れて前向きに捉えるように意識しています。理解してもらうには実績を積んでいくしかないと思っています。
「山陰の創造力特区へ。」というスローガンを掲げる江津市。盆子原先生にとって「創造性」とは?「創造的に生きる」とは?最後にこのスローガンについての解釈をお聞ききした。
盆子原さん:見えない部分の違いというか、いろんな思いを持って何かをやろうという人が(この町に)たくさんいる、もしかして自分がいた時以上にそういう人たちが増えているのかなって感じるところはありますね。
もちろん私がそういう人たちと関わるようになったからそう思うのかも知れないんですけど、人は減っているし、勢いはなくなっているんですけどその中でもどうにかしようって思っている人がいるんだっていうことに気づきました。
創造的に生きる、ということについては前向きに生きるということですかね。常にポジティブに。今ある状況を嘆いてばっかりでは何も生み出せませんし、そこで終わってしまう。やっぱり創造的に生きるというのは前向きであることというイメージですかね。
それともっと地域の方に関わってもらって、地域の中で子育てをしていくというのが自分の理想で、跡市という町を「子育ての町」みたいにしたいです。町全体が子育てに前向きですよ、ポジティブですよ、だからそういう前向きな町に子どもを預けてみませんかっていう話で(笑。そんな風に考えています。
家業だった酪農が嫌いな上に地元跡市への愛着もほとんどなく、戻ってくること自体が不本意でUターン当時は行事ごとも仕方なく参加する程度だったという盆子原さん。それが保育の経験を積み、森のようちえんと出会ってからは「地元の見方が180度変わった」そうだ。
地域の方からの協力を日々感じながら跡市を子育ての町にすべく、今日も子どもたちと森を駆けまわっている。
GO GOTSU! special interview #10 / WATABOSHI