DESIGN OFFICE SUKIMONO

デザイン オフィス スキモノ

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山陰に突如として表れたデザイン集団。
空間デザインからファブリック、家具・玩具・楽器の製造まで、
「ルーツある安心感」を創り出す design office sukimono。

GO GOTSU special interview #01
 

島根県・江津市。羽田空港から飛行機で1時間半、出雲空港から30分弱リムジンバスに乗って出雲市駅に出て、そこから山陰本線に乗り換えて1時間強。日本海の深い青色ぎりぎりを走る車内から、石見地方の特産「石州瓦」のぎらぎらと輝くオレンジ色の甍の波が見えてしばらくすると、江津の中心・江津駅にたどりつく。

駅を出て徒歩10分程度。山陰道を左に進み、線路を越える手前の路地を進むとつきあたりに、「SUKIMONO WORKSHOP」とレタリングされたガレージが見えてくる。中を覗くと、一階には、古民家から救い出してきた古材を含めたさまざまな木材と、それを加工するための木工機械が並び、職人たちが仕事に打ち込んでいる。フロアを広い窓で見下ろす二階には、パソコンの大きなディスプレイが並ぶ。デザイナー陣が詰めるワーキングルームだ。

ここは「design office sukimono」の工房。(自動車修理工場跡を買い取ってつくられた。)いまでは市内だけではなく島根県全域からオファーの絶えないデザイン集団の本拠地である。

 

ニューヨークでの学びと「誰に対して仕事をしているのか」


 

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代表の平下茂親氏は、江津出身。地元で溶接工として働いた後、東京に出て建設業に携わり、専門学校で宮大工の勉強をしてから、大阪の美大で設計を学び、江津の建設会社に勤務した後、ニューヨークに出てデザイン会社で働いていたという異色の経歴の持ち主。彼が最終的に江津に腰を据えたのはどんな理由からだったのだろうか。

「大阪の大学時代に、地元の長屋をリノベーションするプロジェクトに携わるようになってから、いつかは江津で働こうと考えるようになりました。その前に外で学んで、江津に経験を持ち帰ろう、と。何が一番いいのかを考えて思い浮かんだのが、すごく安易なんですが、(デザインや空間設計の最先端の地である)ニューヨークへ行くこと。語学学校に通いながら、デザイン会社の手伝いをして経験を積んでいました。ただ、ニューヨークでは誰に対して仕事をしているのか分からないという面がありました。江津だったら、自分の手で何かを加えたり次の世代に引き継がれていったりということができると、改めて思ったんです。」

江津に帰り、事務所を開いたのは2012年、31歳のとき。もともと店舗設計がメインだったが、そこに大工職人が加わり、施工や家具づくりもはじめた。夫人の平下さとこさんはファッション・デザイナーでもあり、服飾なども扱う。いまでは生活空間に関するもの全般を手掛けている。

 

「ルーツある安心感」のデザイン


 

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▲古着のデニムを張ったチェア。江津に暮らす色々な人のジーンズを再利用してつくられ、1脚1脚が世界にひとつしかない表情を持っている。

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▲(写真:左)古材を活用したダイニングチェアとテーブル。
▲(写真:右)オリジナルチェアー、カード(名刺)ケース、コースターなど日々使うものを中心にラインナップ。

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▲(写真:左)江津・跡市地区の古民家・尾八庵の天井デザイン。跡市は綿花づくりが盛んな地域。そこで、つむぐ前の綿花をそのまま飾るというアイデアに。古民家の風情と綿花の存在感がとけあう、不思議に居心地のよい空間が生まれている。
▲(写真:右)株式会社シマネプロモーションのオフィスの空間デザイン。古い郵便局のつくりと味わいの良さはそのまま活かし、オフィスとしての使いやすさと雰囲気を兼ね備えた空間に再構成している。

これまでにdesign office sukimonoが世に送り出してきたデザインは多岐に渡るが、共通するものはなんだろうか。

「Uターンを考えている人には、“そこにルーツがある安心感”を考えてほしいと思います。自分のルーツを見据えることで、自分の暮らしが安定する。利便性を超える豊かさ。その豊かさを自分でつくれる環境が、地元にはあると思うんです。」

これは茂親さんが、過去の自分と同じようにUターンを考えている人に向けて語ってくれた言葉だが、彼の手がけるデザインにもこうした思想が貫かれているように思う。その空間、その生活のルーツにあるものは何かを考え、そのルーツから素材や造形を発想して、デザインとして定着させる。sukimonoが生み出す製品や空間が、現代的で洗練されたフォルムを持ちつつ、自然と愛着のわく佇まいを湛えているのは、芯にそんな哲学があるからではないだろうか。

 

“江津で一緒に働こう”と言われたときは、顎が外れた(笑)。


 

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奥様の平下さとこさんにも話を伺った。

「私は、大阪の大学でプロダクトデザインを専攻していました。夫と出会ったのも大学の頃です。卒業制作で、デニムを使ったウエディングドレスをつくったんですが、それが学科長の目にとまって。“卒業までに30着つくったらコシノジュンコさんを紹介してあげる”と言われ、実際に30着つくってコシノさんの電話番号をいただき、実際に会うことになったんです。コシノさんからは“(30着つくる)その行動力よ!”とほめていただきました。そして、“(ファッション・デザイナーとしての経験を積むためには)イギリスかニューヨークに行け”というアドバイスをいただいたんです。そうしたら、たまたま同じタイミングで夫(当時は交際相手)もニューヨーク行きを決めていて。

両親にも“私一人で行くよりも…”ということで、ニューヨーク行きと同棲を認めてもらいました。ニューヨークでは、モデルに服を着せる仕事をしたり、日本からミシンを持って来ていて空いた時間に服をつくってニューヨークのお店に売り込んだり。当時は、夫とニューヨークで永住するかもとも思っていたんですが…。
夫が一時帰国していたときに、スカイプで会話をしていたら、いきなり夫が“もうニューヨークに帰らないよ”“江津で一緒に働こう”と。江津には交際している間に何度か連れてきてもらって、いい場所だなとは思っていたけれど、それまで移住するなんて話はしてなかったので、言われたときは顎が外れました(笑)。ただ、コシノさんは尊敬していますが、私自身は有名なファッション・デザイナーになりたいというよりも、好きなものをつくりたいという気持ちが強かったので。夫も自分と同じデザインの仕事をしているし、江津に行くことを決めました。」

 

「人が面でつながる」から生まれるクリエイティブ


 

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江津で働くこと、起業することには、ネガティブなイメージもあったという。茂親さんが中学生のとき、「将来、地元で起業する」と話したら、同級生から「江津なんかじゃ絶対無理!」と言われ、ショックを受けたこともあった。そんなネガティブなイメージを越えて江津で起業することの決め手になったのは、「人の存在」だという。

当時、GO-CON(*1)をきっかけに江津へ移住し、新しいビジネスをはじめる人など、江津に面白い人が現れはじめていた。江津にいる周りの人たちとの関係の中で、少し先の未来に「何かできそう」というポジティブなイメージを持てるようになった、と茂親さんは話す。その流れが後押しとなって、「今がタイミングだ」と江津への移住を決めた。茂親さんは、江津=地元で働くことのメリットを次のように話す。

「都会にいたときよりも、圧倒的に多くの人とつながっていると思います。江津にいると“みんな知り合い”みたいな感覚。地元の企業などみんながすごく協力的で、地産地消の家をつくりたいと思ったら電話一本で実現してしまう。都会の関係性が、ある一個の共通の利益とか、あるひとつの共通の価値観とか、点でつながっているイメージだとすると、江津の関係性は面でつながっているイメージ。もっと重なるものが大きいというか、そういった明確な点がなくてもつながれるというか。

一時期、江津にある仕事は全てやりきってしまったと思った時期があったんですが、そんなときに出雲市からの仕事が入ったんです。出雲市で広告宣伝したわけではなくて、まわりの人が世話してつなげてくれて。いま、仕事していて、自分の力だけで物事が進むと感じることはそんなにありません。周りの人たちの見えない力や支えがあることを感じています。こういったものは都会では感じたことはありませんでした。」

さとこさんも、周りの人とのつながりを実感しているという。

「江津に来て、いちばん沈んだのは初めての冬。ずっと曇りだし、知り合いもいないし。一緒にデザインの仕事をしよう、と言われていたけれど、実際は雑用。そりゃテンションは下がりますよ(笑)。けれど、会社を立ち上げ、結婚、出産、従業員が増えたりとしていくなかで、江津で働く気持ちが高まっていきました。周りのひとが集まって来て、助けてくれて、今では”ここに住むの最高!”という気持ちです。都会に比べて、江津の人は温かく、優しい。赤の他人になぜそこまで親切にしてくれるの?という場面が多々ありました。」

 

「クリエイティブな職人」を育てたい


 

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2人の移住からはじまった「design office sukimono」。平下さんたちのデザインの魅力と想いに引かれ、いまではデザイナーと大工職人が集う「創り手集団」を形成している。市内はもちろん、島根県内外で注目されるようになってきた。茂親さんは次にどんなことを考えているのだろうか。

「日本では一気に”はやり”が広がりますが、それは表面的なものだという思い、そういった”はやり”に流されてしまっているという思いがあるんです。何かもっと大切なものがあるのでは。本質的なものは何なのか、それが知りたい。その一端はニューヨークに出ることで見ることができたと思います。そこで学んだものには、必然性のないものがあまりなかった。では、江津で必然性のあるものは?を考えるようになりました。」

「デザイナーという仕事が日本で生まれたのは戦後で、そこからどんどん専門分化が進んでいます。でも、(専門性が未分化で統合されていた)戦前から素晴らしいものはたくさんあったわけで。これからはたくさんものをつくる時代ではないと思うんです。自分でなくてもつくれるものがあふれ、そうしたものをつくることだけを仕事にしていると、たとえば、職人は職人でいる意味が分からなくなると思う。そうではなく、アイデアの着想から設計、施工まで一人で統合してできる、クリエイティブな職人を育てたい。大工がアイデアを発想するデザイナーと図面を引く設計士を兼ねていくような。そうなると、職人はもっと自分に誇りを持てるようになるのではと。田舎でこそ、それができるのではないかと考えています。」

その思考はけして内向きなものではない。

「うちの大工とは、アメリカに支社を出したいと話しています。彼はすごく純粋で、この前に仕事で東京に連れて行ったら、東京の夜景を見ながら“ありがとう。こんなところで仕事ができるなんで思わなかった”とすごく感激していて。アメリカに彼を連れて行ったらどうなるんだろう、と(笑)。」

ものごとのルーツを探求するデザインを、ひとと面でつながるバックグラウンドから創り出す。江津で芽を伸ばしはじめた新しいクリエイターのあり方が日本や世界を驚かせる。そんな日も遠くないかもしれない。

GO GOTSU special interview #01 / design office sukimono


 

(*1)江津市が主催するビジネスプランコンテスト。江津市の持つ地域資源を活用し、地域の課題を解決するビジネスにチャレンジする人を募集している。
詳細はこちらまで。