IMAI SANGYO

今井産業 株式会社

私の育ちは江津駅前です。私たち今井産業を公共事業でここまで大きくさせて頂いた分、なんとか江津へ恩返しをしたいといつも考えています。
しかし、まだまだ変革すべきことも多く、石見地域としても、もっと声を上げていかなければいけないこともありますね。

GO GOTSU special interview #13
 

 

建設業は多くの市民にとって直接的な関わりがないとしても、公共事業をはじめ、町をつくる上で欠かすことのできない産業である。

今回ご紹介する今井産業は創業70年を越えるこのあたりでは大きく、有名な企業だ。建設業全般はもちろんだが、美術館の運営やケーブルテレビ事業、さらには中心市街地活性化の事業に関わるなど江津の町の発展に大きく関わってきた。そこにある信念は創業時から根付いている「地域貢献」の精神である。

社長自ら「江津への恩返し」を公言しているが、一方でもっと変えていかなければいけない問題や課題にも声を上げて取り組む。そこにはどんな問題意識があり、どのような取り組みを行っているのだろうか。

 

会社を全面的に一人で引き継いだのは40歳になってからですかね、バトンを本格的に引き継ぎました。(今井さん)


 

 

今井久師さんは、平成15年に代表取締役に就任されたんですね。これまでの略歴からお話を聞かせてください

今井久師さん(以下、今井さん):私が4代目代表となります。大学時代は東京へ出て、その後米国へ行き、日本に帰って来てからは広島で仕事をしていました。26歳頃に江津に帰って来ましたね。2代目が私の父で、早くに他界しまして。当時、私はまだ30歳でした。(会社経営のことを考えると)帰って来てまだ日が経っていない、私自身もこれは大変だなと思っていましたね。 そんな状況の中、3代目が私の叔父なのですが「いますぐにというのは君も大変だろうから、しばらくは自分が引っ張るから」ということで協力してもらい、10年引っ張ってもらいました。全面的に一人で引き継いだのは40歳になってからですかね、バトンを本格的に引き継ぎました。 

さすがに10年もいると、会社のことも大分わかってきましたね。それまでは年間60億ぐらいの規模の会社でした。松江に営業所がある程度です。江津と松江の2カ所。帰ってきてからそこをもう少しバランス良くしたとい考えました。公共工事と民間工事をバランスよく取り組んでいきたい。というのも当時はまだ公共比率が大きく、バブルがはじけて以降、一時は経済立て直しってことで国もずいぶんインフラ整備をしていました。やっぱり財政の問題を鑑みて、今後のことも考えて、公共工事主体にしていくと一緒に沈んでしまうかな、小さくなってしまうかなと考えていました。そのままじゃ先行きはどうかという気持ちで、民間工事を今のうちから広げていきたいと考えたわけです。具体的には広島、東京と支店を拡げていきたい、との構想を持ち、今はおかげさまで構想どおり、支店を持つことができました。

それからリーマンショック(2008年)が起きました。リーマンショック前に掲げていた目標にかなり近づいたと思っていたんですが、そううまくはいかないな、簡単にはいかないなということを感じました。大きな反省に立ち返りましたね。今は人を雇用しながら、教育しながらやっていこう、一つずつ少しずつやっていこうかなという風に思っています。みなさんにお世話になりながら、江津に随分長いこと本社をおかせてもらいました。公共事業で大きくさせて頂いた分、なんとか江津へ恩返しをしたいというのが太く、強い考えとしてあります。

 

今井産業に入ったということは地域に関係する職に就いた、地域のことを一生懸命考える社員であってほしい、それを伝えています。我々の仕事は地域と密接にありますから社員も地域に還元する。(今井さん)


 

▲今井久師さん。どんな質問にも歯切れよく応えてくださった。

 

このような地域への貢献や還元という考え方というのは、昭和3年の初代、庄之助さん(今井社長の祖父にあたる方)によるものだったのだろうか。今井産業は元を辿ると金物屋から始まり、その後、扱うものは木材や資材に変わってきた。今井産業による『いまはむかし』という読み物は創業70年の記念誌として発行されたが、これは言い換えれば江津の産業史そのものといえる書物である。 

江の川に寄り添うように産業が生まれ、町が形成されてきた。会社を興し、後々社風として体系化され、人を大切に育てていきながら、地域と共にあるというのはとても日本企業らしい。昭和3年から始まったものを受け継ぎ、今後も残していきたい、大切にしていきたいものはどんなことなのだろうか。

今井さんこれは、僕がいろんなところで伝える事です。会社の社員ではあるけれど、地域の社員、職員であるという意識。会社の元気の源は地域が元気であること。地域が元気でないと成り立たないですね。今井産業に入ったということは地域に関係する職に就いた、地域のことを一生懸命考える社員であってほしい、それを伝えています。我々の仕事は地域と密接に関係がありますから、逆に社員も地域に還元をする。おかげさまで、神楽を一生懸命やるから、今井産業で頑張っていきたい、この地域に残りたいって人が結構いるんですよ。それはありがたいことです。  私の父がよく言っていました。「長男は積極的に雇用をしていけ。」当時はよくわからなかったですよ。「長男は必ず帰ってくる。家を見にゃいけんし、父ちゃん母ちゃん、じいちゃん、ばあちゃん、墓の面倒を見る立場だから。地域に帰ってくる長男さんを支えるということは企業の使命だ。」と。今になってよくわかります

 

昨今、日本でも自然災害が頻発に起きているが、ここ江津では江の川の存在によって水害とは切っても切れない縁がある。建設業とは常に災害と密接な関係があるが、今井産業として自然災害の対してはどのような考えや取り組みがあるのか伺った。

今井さん:災害は無いに越したことはないですよね。2019年も西日本災害、広島、岡山で大災害がありました。ここ、江の川の越水も、毎年とは言わないけど隔年ぐらいのペースであるんですよ。このあたり(桜江町)の田んぼはよく浸かっていました。

人々の安心、安全ために我々のような仕事があります。災害工事などは公共予算がつかなければ、なかなか前に進まないこともありますが、これだけ一級河川といいながら、下流整備がない、というのは全国になかなかないんですよ。これだけの人が住んでいるところなのに、ですよ。これは課題意識として持っています。  高知の四万十川に行った事があるんですが、たしかに堤防は少なかった。でもそれがなぜかというと河川沿いに人が住んでいないからなんです。江津は川を源として、昔から集落ができています。河川と共に町が発展していて、人が住んでいるわけです。

 

地域づくりの話でいくと『今井美術館』についてもお聞きしたい。桜江にあるこの美術館では様々な企画展が開催されており、地元住民はもとより、県内遠方や県外からも足を運ぶ人が多く、この地域において貴重な存在である。心を癒し、楽しむためにある文化芸術やクリエイティブアートが町に及ぼす影響は決して小さいものではない。この美術館を運営するにあたり、人がホっとできる場所が必要、やはりそのあたりを見越していたのだろうか。

 

子ども達が授業の一環で観に来る際は無料にしています。松江では今井産業より今井美術館の方が有名ですからね(笑。


 

▲様々な企画展が開催されている今井美術館。(江津市桜江町)2018年に開催された『星野道夫展』は中国地方で初めての展示会だった。『院展』も大盛況だ。

今井さん:元々は2代目の父が絵画が好きだったところからスタートしたんです。白磁や青磁、絵画が好きだったんですよ。亡くなる前に「寝床で持っている作品を誰かに観てもらえたらええんだけど。」と言っていましてね。所蔵庫として、我々のところに来る方が観ていただける程度でスタートしました。これまた、もう亡くなっているのですが母が美術館の館長になり、もっと営業して本物がここにあるってことを知ってもらおう、喜んでもらおうと。結果いろんな方々に観ていただく流れになりました。誘致にも成功しまして、それから今井美術館というものがどんどん発展していきました。

子ども達が授業の一環で観に来る際は無料にしています。松江では今井産業より今井美術館の方が有名ですからね(笑)。弟が館長2代目としてやっています。広島に常駐しているんですが、事業所の兼任という形で。広島行くとまた様々な出会いがありましてね、色々つながりができてそこから星野先生へとつながりができたんです。(※2018年には星野道夫展が開催された)こんな山間の小さな美術館で本物が、これだけのものが観られるなんて驚きだと思いますが、これはありがたいことです。

 

▲海洋堂によるフィギュア展も催された。夏休みの子どもたちは大喜びだ。(写真提供:今井美術館)

 

 

僕の役目は、若い世代に恥じぬように仕事も地域のことも本気で取り組むってこと。

 

さらに今井産業はケーブルテレビ事業も手がけていることもよく知られている。これまでなかったもの、あったら喜ばれるものを次々に作っている印象を受ける。そこには地域貢献、地域への恩返しという揺らがない信念がある。

今井さん:これらは僕一人の力ではありません。江津市ではビジネスプランコンテスト(通称:Go-Con)を毎年開催していますよね。随分早くから県外からの人がチャレンジしていますし、それが起業家の登竜門となればいいなと思います。コンテストで大賞とることがブラッシュアップされ、起業の早道だってなっていければ。田舎でもこんなことができる、という発信をしていきたいですね。中国地方で最小なのですよ、江津市は。54市中54位。でもこれからが1番小さな市からの「逆襲」が始まると思っているんです。

▲江津市内の建設現場で行われた地鎮祭。(写真提供:今井産業株式会社)

仕事ももちろんですが、会議所の仕事もやらせていただいて、小さくても経済を回していく仕組み作りさえすれば、江津も生き残っていけると思っているんですよ。例えば江津本町、何とか面白いことできないかなとかね。アート村にして、全国から芸術家を集めて、安い空き家を使ってもらって。そこで創作活動してもらってビレッジにできないかななんて。小さいから、こぢんまりと纏まってしまうことがいかんです。小さくてもしっかりと経済が回っていけば、人々の暮らしを円熟できるはずです。

若い世代は捨てたものじゃないって思っています。僕の役目は、彼らに恥じぬように仕事も地域のことも本気で取り組むってこと。いいものを彼らに残してやりたいという思いしかない。今企画している「A1グランプリ(江津をサーキット場にしたカーイベント)」は僕が企画したわけではありません。若い人がゴソゴソ何かやっているのは知っていて、ある日、組織立ち上げたいんで会長をやってほしいと依頼されたんです。問題や課題はたくさんあるけれど、いいことだからいいよって引き受けました。少しづつ実現に向けて動き始めています。

 

再び建設業の話へ。少し未来についてお聞きしたい。国交省の領域と民間事業の領域があるが、江津の中でも危ない場所や直すべき場所はあるのだろうか。さらにもっとインフラの整備が必要な場所などもあるように感じる方もいるのではないかと思う。今井社長には独自の考え方あるようだ。

今井さん:例えば石見空港がこんなに早くできているのに、石見空港に行く道路がなんでこんなに遅れているんだろう、これって本当におかしいよねとは思っています。道路ができて、空港ができるという順番なのではないかと。誰かが声を上げるというのは必要です。石見の人はおとなしいからというのもあるかも知れません。

でもこれからはそれじゃいけません。江津と浜田のバイパス、有料ですよね。500円ぐらいかかるわけですよね。よくみんな我慢しているなと思うわけです。僕個人が、会議所として一番に取り組みたいことは「江津浜田間をまずは無料にすること」です。もしくは半額。もしくは一区間100円。会議所があって、江津市があって、浜田市と連携し、浜田会議所とも連携します。一気に一つになること。それで経済界、国、県に「おかしいでしょ?」って言うんです。

 

▲江津市桜江町にある、今井産業の本社ビル。春にはあたり一帯に桜が咲く。

やはり山陰線は遅過ぎますね。早くから消滅可能性のある地域、石見の村や町の名前が挙がっているなかで、なんでこんなに遅れてしまったんだろうと思います。しょうがないな、ってすまされる話じゃないんです。

 

今井さん:浜田道にしても対面交通ですよ。あの恐ろしい道路を有料で走っているんです。みんな、おとなし過ぎるんですよ。山陰道の江津浜田間のインターの名前も気になります。面白くも何ともない。江津西とか浜田東とかではなくて、例えば「アクアスI.C」とか「有福温泉I.C」とかね。今、空港の名前も変えられる時代ですよ。全国にインターチェンジの名前が載るってことは全国の高速道路の地図に載るんですよ。「あ、ここに温泉あるんだ。」ってわかるじゃないですか。こういうことは小さくても大切な仕事だと思っています。

やはり山陰線は遅過ぎますね。早くから消滅可能性のある地域、石見の村や町の名前が挙がっているなかで、なんでこんなに遅れてしまったんだろうと思います。しょうがないな、ってすまされる話じゃないんです。一方で、出雲空港はどんどん良くなりました。便の本数も増えています。

石見地方は遅れているので、我々が地域としてもっと大きい声を出していく必要があると思います。今言ってるのは悪い例えやクレームではなく、全て改良からはじまっていくからなんです。ネガティブな発言をしているわけではありません。江津のJC(江津青年会議所)さんはものすごい頑張っていますね。この石見エリアでは江津が飛び出るぐらい頑張っています。合同グランプリでも委員会を立ち上げていますから。

 

今後の課題としては、駅舎と駅前ビルです。江津駅周辺の再開発を何とか実現したい。(今井さん)


 

▲JR江津駅。「駅舎をきれいに」という市民の声は根強い。

今井さん:彼らのために、なにができるかなって、僕は思います。中心市街地活性化について言うと、父が元気なうちから、駅前をなんとか変えないといかんっていうのはずっと言っていて。元々うちは駅前ですから。しかし本当に長い課題です。中心市街地のなかに、江津駅前に足りないもの、何が必要かって地域の企業さんにアンケートをとったんです。結果、宿発施設がトップだった。それがスーパーホテルさんの件です。  宿泊施設の誘致が会議所での一つの位置づけでした。たまたま会議所のなかの地域開発委員会の委員長を僕がしていたんです。この委員会で宿泊施設の誘致研究をしましょうということで研究テーマとして選択することになったんです。

その後いろんなホテルに出向きました。委員会だけでなく、江津市とも一緒になってね。江津に宿泊施設が欲しい、出てもらえないか、といろんな活動をしました。71室の小さなホテルですが、ここ数年は9割以上の稼働率ですし、1年間で延べですが利用者は2,600人ぐらいになっています。

今後の課題としては、さらに駅舎と駅前ビルです。あのへんの再開発を何とか実現したい。コンビニを入れたり、駅舎やJRさんと協力して高齢者と若い人がしっかり使えるようにね。スロープがない、階段しかない、その声が多数あります。自転車小屋ひとつとっても、雨さらしです。雨ざらしで自転車がひっくり返っていて。これではおもてなしも何もない。学生さんが駅に帰って来て、これはちょっと情けないじゃないですか。

 

男社会の建設業をやっていると、なかなか女性活躍って少ないですけど、今井産業ではどんどん女性の活躍の場を広げたいと考えています。

 

今井さん江津市では、平成27年度に江津市版総合戦略を策定し、令和2年度には、この後継である第6次総合振興計画を策定予定です。総合戦略っていうのは2040年度の江津市人口が17,300人を降(くだ)らないように、今から手を打っていきましょうっていう様々な動きです。

要するに、2040年度の江津市人口にターゲットをしぼって戦略を考える話です。そして、令和2年度からは第6次総合振興計画に移行していきます。振興計画は、人口減少対策だけでなくもっと広い観点で、江津が何を今後やっていくかという話です。私は、商工会議所と、江津建設業協会という立場から、この2つの計画の委員やらせていただきました。いかに人口をキープするか、少しターゲットをしぼった戦略だったんですが、その中で、子ども、女性、高齢者を含めたコミュニティの生業をつくっていこう、いろんなジャンルを数値化し、どのような変化が見られたか、変化を追いかけようとしました。この次はそれらをどうやって仕組化するかだと思います。

 

▲発言とその内容は客観的で、物事を俯瞰して見る視点を持ち合わせている。

時代はどんどん変わり、既婚者だけでなく、シングルの女性でも、生き生きできるのではないかと思っています。国や法律の問題の部分もあるかもしれないけど、シングル女性が江津でどんどん活躍できる仕組みづくりができたらいい。女性だから、男性だから、ではなく、さらに言えばジェンダーレスを江津市が打ち出していってもいいのでは?と僕は思っています。男社会の建設業をやっていると、なかなか女性活躍って少ないですけど、 今井産業ではどんどん女性の活躍の場を広げたいと考えています。

 

この町で暮らし、働き、生きていくために二番煎じではなく、もう少し突き抜けていこう、そうでなければ現状は変わっていかないよ、というメッセージを今井社長から感じた。創造力は特別な人にあるものではなく、万人にとって自分たちの暮らしをよくする活力になり、それこそが地域財産になるのではないだろうか。今井社長が考える「創造力」、そしてその力をこの町で暮らす人達はどんな風に持ち合わせていたらいいのだろうか。それを最後に伺った。

▲江津市が掲げる『山陰の創造力特区へ。』というスローガンを市民はそれぞれに感じ、自由に受け止めている。

今井さん:学生の時は都会に出たいと思っていました。そう思う人は多いのではないかと。それから一旦、サラリーマンになってしまうと、帰る勇気が湧かないかもしれませんが、「帰ってみたい」という気持ちにさせる環境づくりこそが創造力を育むことではないかと思います。僕がそうだったように、若い人は挑戦したいし、外へ出たいんです。これは当然です。その代わり、外へ出て成功したら、江津へ帰って貢献する。原点へ還元する。

成功したらそれをやればいいんです。田舎を常に思えるような地域づくり、子どもたちへの教育になっていけばいいなと思っています。会社はずっとここにありますから、社員も地域に関わってくれて、ありがたいと思っています。会社に入る、イコールその地域に属するってことだと思うんです。そう考えると、これからはやっぱり子どもの教育が大切ですよね。

 

 

 

GO GOTSU! special interview #13 / IMAI SANGYO  HISASHI IMAI